<其の752>師匠・川島「貸間あり」からの弟子・今村「復讐するは我にあり」

 こんな状況なのに忙しく、あっという間に8月になりました・・・(早)。それにしても暑いっ!!東京は猛暑&デルタ株が猛威をふるっているので(遂に1日で5000人越え)、外に出るのが恐ろしいっす・・・。

 

 映画はオリンピックを観ながらも、ちょこちょこ観てます^^。リュック・ベッソン監督の新作とか、「マジンガーZ」の続編映画とか(笑)。夏にアクション映画やロボットアニメを観ると、いい意味で気分転換になるからお薦めよ^^♪

 な~んて書きながら、今回紹介するのは川島雄三監督の「貸間あり」(’59)。アクションでもアニメでもないコメディ(笑)。原作は井伏鱒二の同名小説。川島があの藤本義一と共に脚色している(川島監督の生涯については、このブログでも何度か取り上げているので割愛)。

 

 大阪・通天閣近郊ー。大きなアパート屋敷の住民のひとり・与田五郎(=フランキー堺)は、四か国語に堪能&小説、翻訳、論文等の代作にコンニャク製造などマルチにこなす「何でも屋」を営んでいた。他の住人も一癖も二癖もある人達ばかり。そんなある日、五郎に惹かれた陶芸家のユミ子(=淡島千景)は、唯一空いていたアパートの空き室に引っ越してくるが・・・。

 

 一言でいえばドタバタ喜劇ですよ。五郎に身代わり受験を依頼する浪人生(=小沢昭一!)が訪れたり、同じアパートの旦那に、自分が不能なので代わりに女房を抱いてほしいとせがまれて逃げ回ったり(笑)。井伏先生の原作は東京が舞台なのだけど、あえて大阪に変更したのは、この猥雑でエネルギッシュな感じは東京より関西だと考えたのかもしれない。

 川島が独自に翻訳した・・・座右の銘ともいうべき有名な言葉「サヨナラだけが人生さ」は桂小金治の台詞として披露される。主役は川島の盟友・フランキー堺が「幕末太陽傳」の延長線上にあるキャラクターを演じているし・・・俳優達の動きはコミカルながら、川島が相当入れ込んで演出した事がよ~く分かる“重喜劇”だ。

 ところが完成した映画を観た井伏先生からは「どぎつく、汚いかんじだ」と怒られ、川島自身相当ヘコんだという。彼としては日本の敗戦感と、人間の生きる悲しさを狙ったらしいが・・・。もしかしたら先生が怒った理由は、当初、台本になかったラストシーン(ネタバレにつき書かないけど)をつけ足したせいかも(苦笑)。筆者的には、この絵で終わるのは面白かったけどね(興味ある方は映画をご覧あれ)^^。

 

 この川島の愛弟子にして“重喜劇”の継承者が今村昌平監督。彼がドキュメンタリーを経て久々に劇映画に復帰したのが「復讐するは我にあり」(’79)。佐木隆三が1963(昭和38)年10月から翌年1月にかけて起こった「西口彰事件(5人を殺害して死刑になった)」を書いた同名小説の映画化。今作にも川島繋がり(?)でフランキー堺が刑事役で出演してる。。

 最初の犯行から逮捕後の様子まで描かれてるんだけど、凄惨な殺人場面もある上に主役が緒形拳(怖っ)!共演に三國連太郎小川真由美倍賞美津子ほか演技派俳優が結集。師匠・川島の「貸間あり」(コミカル&ライトなタッチ)とは真逆のストロングスタイルの演出が展開していく。

 今作の凄いところは、リサーチ魔・今村により撮影現場のほとんどが実際に事件があった現場でロケされているという事!さすがに浜松駅のシーンは当時のままではなかったので、別の似た駅にしたそうだが、主人公が殺人犯した後も滞在した東京・雑司ヶ谷のアパートは実際のアパートだというのは凄すぎ(部屋自体は別らしいけど)!!これぞ映画撮影における「ゴン攻め」(笑)。

 「貸間あり」は艶笑コメディの要素もあるんだけど、今作は緒形と小川のベッドシーンが、今村らしくねっちょりとした描写で・・・う~ん、昭和(苦笑:個人的な見解だが、「にっかつロマンポルノ」とかによくあった中年男女のヌメヌメとしたHシーンが筆者は苦手なのよ)。

 犯人逮捕のきっかけが、映画はスルーされているのが惜しまれるが→実際は、身分を偽っている犯人に気付いたある家族が、一晩我が家に宿泊させて通報した・・・。映像化したら、さぞかしスリリングなシーンになった事だろう・・・けど、リサーチ魔・今村が知らぬ訳はないので「ここまでやってたら上映時間が長くなりすぎる」と判断したのかもしれない。あくまで筆者の推理だが。

 

 当時、日本を震撼させたこの事件は、すぐさま映画化の話が持ち上がるも白紙となり、何人もの監督が原作者・佐木隆三(映画にもちょい役が出演)に話をもちかけた結果、トラブルになったりと・・・この映画自体も公開当時は色々話題になりました。こうして2本をつなげて師匠と弟子の資質の違いを見比べてみるのも一興かと。是非、夏休みの自由研究のヒントにしてほしい(するかっ)^^。