其の586:いま改めて「東京オリンピック」(’65)を観る

 いよいよ11月も終わり(早)。いよいよ冬ですなぁ(筆者は寒がりなんで苦手な季節だわ)。

 今年は2020年に再び行われる「東京オリンピック」開催に関して、色々ゴタゴタあった年でもありました。この国のシステムの悪い点があれこれ出たね(苦笑)。筆者は前回の東京オリンピック開催時には生まれていないので、すべて“後付け”で聞いた世代。この超メジャー国民的映画(動員数では後にアニメ「千と千尋の神隠し」、「アナと雪の女王」に抜かれたものの、実写では現在も第1位。当時上映された学校や公民館で観た人まで含めたら、その数たるや・・・!!)についてこのブログで書くのも気が引けるんですが・・・ほとんど、当ブログは「ドキュメンタリー」や「記録映画」を扱っていないんで、その辺りの“反省”も兼ねて取り上げる次第(自分のブログの欠点もそれなりに認識はしてるつもりです)。取り壊された国立にも最後、行ったしね(もち仕事で)。


 今更ですけど、基礎知識として・・・「東京オリンピック」は1964年(昭和39年)10月10日から同月24日にかけて日本・東京で開かれた第18回夏季オリンピックの事。日本、引いてはアジア圏で初のオリンピック開催という意味合いもある。10月10日が「体育の日」というのは、ここから来ているわけですね♪

 日本中が湧いた、このオリンピックを記録する“総監督”の大役を務めることになったのが、かの市川崑!!約40種目を170分(途中「休憩(インターミッション)」あり)にまとめ上げた。ところが今作品は・・・最初から最後までドタバタが続いた“ワケありな映画”でもある。今から書くことは全て“メジャーな話”!

 そもそも最初にオリンピック委員会から依頼があったのは黒澤明!!・・・ところが予算の問題で黒澤はナシになり、その後今井正今村昌平渋谷実新藤兼人ら複数の監督に話がいったものの(・・・何故、本職の「記録映画」の監督ではなく「劇映画」の監督ばかりに声をかけ続けたのかは甚だもって疑問)最終的に引き受けたのが市川崑だった。その時点で大会開催まで8カ月もなかったという。

 本人曰く「スポーツには詳しくない」と語った市川は自身と脚本家の和田夏十(監督の奥さん)に同じく脚本家の白坂依志夫+詩人・谷川俊太郎のメンバーを集め、撮影にあたって“脚本”を執筆(←もっともこれは委員会に企画書的なものを提出する意味もあってのこと)。詳細な絵コンテも併せて書かれた。・・・ここまで読まれて「最後まで結果のわからないスポーツになんで脚本が?やらせか?!」と思われる方もおありだろう。ここからは筆者の<邪推>だが、それこそ大会の撮影には膨大な機材のほか、カメラマンも大量に動員する必要があるわけで(→当時、映画館で本編上映前にやってた「ニュース映画」のカメラマンが多数召集された)、いくら名カメラマン・宮川一夫が主導するにしてもカメラマン全員をフォローすることは不可能。よって“こういった意図をもって撮影に臨んでほしい”という<意志統一>の為にも脚本は書かれたと思う。実際、市川が大会前、カメラマンたち(ニュース映画大手7社150人以上)を集めてシナリオの存在を明かした時には、怒って席を立った人もいたそうだが。・・・でも、カメラマンって対象を外すのが怖いから、引きの似たようなサイズの画ばっか撮る人もいるし、皆が似たような画ばっかり撮ってたら編集で画が“つながらない”訳よ。そういった意味もあっての説明会だったと個人的には思うのだが。ちなみに・・・その大勢のスタッフの中には、若き日の山本晋也監督が「撮影助手」として参加していたのも有名なトリビア^^。

 市川は日本国旗を彷彿させる太陽のどアップから鉄球によるビルの解体作業で映画をスタート、出場選手は勿論、試合を観る一般客や皇族の方々、長嶋茂雄から王貞治の様子(!)、はたまたマスコミに至るまで・・・狙いに狙った多数のカメラで撮影された映像を多面的に編集(勿論、市川演出だけにスローモーションや静止画等も多々あり)。中には天候や照明の問題で「別撮り」したシーンや音声もあり。その結果、これまでの「記録映画」とは異なった“芸術性の高い作品”として完成した。撮影自体はテレビ中継もあったりしたから・・・そちらとカメラ位置の事で揉めたりして大変だったそうよ(苦笑)。

 大量の素材を編集して迎えた「完成披露試写」の2日前(’65年3月)。関係者のみで行われた試写会で当時オリンピック担当大臣だった河野一郎が「記録性をまったく無視したひどい映画」とコメント。当然のことながら製作費に税金が使われたこともあって「芸術か記録か」という大論争が巻き起こる(いかにもマスコミが飛びつきそうなネタ:苦笑)。そんな中、映画を観た高峰秀子(あの「二十四の瞳」ほかに出演した大女優・高峰秀子ですよ)が<仲裁>に入り(大臣と市川は3度話し合い)、大臣がOK出したことで、ようやく事態が収拾に向かい公開にこぎつけたのでした♪当時は皆が映画館に行ってた時代だけど・・・現在の視点で考えれば、いい宣伝にはなったかも!?

 個人的に見た感想を書かせて頂ければ“市川崑の映画だな〜”っていう感じ(笑)。競技の結果がよく分からない種目もあるし、あくまでいま現在、テレビでやるようなオリンピックの総集編とか純然たる記録、全て真実を捉えたドキュメンタリー・・・として観たら期待を裏切られるだろう。ここは難しいところなんだけど・・・人がカメラを回した時点で、その人の<主観>が少なからず入るワケ。そんな大量の映像素材をまとめる(編集)に当たっては・・・それをつなぐ人の意志や意図が入らない訳がないのですよ(制作側の意見としては)。だから筆者は十分楽しめたし、最後はちょっと感動してしまった。いまや伝説の超人アベベ円谷幸吉の姿をカラーで観れたことも良かった!・・・この辺りは10〜20代の若人と感想が異なると思うけど(苦笑:どうせアラフィフざんす)。

 トラブルに見舞われつつも大ヒットを記録したので市川自身も、多少は報われたと思うが(それと当時の自己反省もあって後年「ミュンヘンオリンピック」の記録映画「時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日(オムニバス形式)」の1パートも引き受けたのではないかしら?!)、なんと2004年(平成16年)、<オリンピック開催40周年>を記念して本人が「ディレクターズ・カット版」として再編集!!スーパーの入れ直し&音響をバージョンアップさせた他、公開当時全体のバランスや“政治的”に入れざるを得なかった競技に評価の高かったチャド共和国の陸上アスリート、アフメド・イサのエピソードほかもあっさりカット。公開版より22分も短縮されてる(148分)。後年、自作のリメイクも旺盛に行った監督らしいといえば、らしいのだが・・・40年後にまた素材をいじるとは(驚)!なんとも凄い監督だった。こんな人は世界中探しても他にいませんぜ・・・!

 


 <追記>漫画「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる水木しげる先生が亡くなられました。筆者も好きな漫画家のひとりだっただけにショックです。先生のご冥福を心からお祈り致します・・・。