其の307:巨匠の大胆な文芸作「細雪」

 2008年も残り1ヶ月を切りましたが・・・観たい映画がなにも上映してない(苦笑)。それでついつい先日発売された研究書「シネアスト 市川崑」(キネマ旬報社)、「市川崑大全」(洋泉社)を繰り返し読んでいる。金田一耕助シリーズに代表されるミステリーや記録映画「東京オリンピック」等のほか、市川御大が非常に多様なジャンルに取り組んでいた事に改めて感心&尊敬!そこで久しぶりに「細雪(=「ささめゆき」と読む)」を再見したのだがー昔は退屈だったがーいや〜、面白かった^^
 これ10代、20代で観てもダメな映画!30代、40代になって(且つ家庭を持つとより一層)理解出来る「大人」の映画なのだ。かの淀川センセも絶賛し、御大自身も好きな自作の1本として挙げています(=理由は後ほど)。


 原作は「痴人の愛」、「春琴抄」、「鍵」ほかで知られる文豪・谷崎潤一郎(1886〜1965)が1943年から48年にかけて発表したもので毎日出版文化賞、朝日文化賞を受けた長編作。昭和10年代の関西に住む旧家の美人四姉妹の愛と哀しみが描かれる。市川版「細雪」は3度目の映画化にあたり、おっとりした長女に岸恵子、ヒロインでしっかり者の次女を佐久間良子、いまいち何考えてるか分からない「不思議ちゃん」の三女を吉永小百合が。そして勝気で行動的な四女に古手川祐子が扮している。


 原作を読んだ上で、今作を観るとまず驚かされるのは、原作では数年間に渡る物語を昭和13年の春から冬にかけての1年間の話に凝縮。そして何より<映画的>と思われる「神戸の大水害」、「蛍狩り」、「四女の子供の死産」などのエピソードをカット!「四大女優をそれぞれ活躍させる」とか「予算がかかりすぎる」等の理由があるようだが・・・この<脚色>はあまりにも大胆(脚本は御大&日高真也の「金田一」コンビ)。
 御大は以前から原作ものを大胆に改変する事でも有名だが(=「鍵」では谷崎御大を驚かせ、「ぼんち」では作者の山崎豊子が撮影スタジオまでクレームつけに来たそうな)その良く言えば「実験精神」、悪く言えば「暴挙(笑)」は終生変わらなかったわけだ。だが、この変更により「女の強さと弱さ、自己顕示欲とナルシシズムをさりげなく誇張して、女性の本質を描きたい」という御大の狙い(製作発表時の発言)が<独自の映像美>と相俟って原作以上に浮かび上がる事となる。


 普通に考えると古手川の四女を中心にした脚色した方が話が転がりやすいのだが(=一番活動的で色恋沙汰も多いし)、映画は原作同様、ヒロインは次女(=谷崎は夫人とその姉妹をモデルに小説を書いた)。「不思議ちゃん」の三女・吉永が「見合い」を繰り返す様を軸に、次女の夫でありながら吉永に魅かれている石坂浩二を絡ませる展開(といっても特に大した筋はないのだが)。
で、小百合はそれを意識していて石坂をエロい目でみつめたりもする(笑:この設定は原作にない)。これが市川映画初出演の吉永はさすがにいまいちキャラが掴めず、一度はオファーを断った・・・結果、新境地を開き御大と「おはん」、「映画女優」、「つる ー鶴ー」とコンビを組む・・・公開当時「サユリスト」はどう思ったのか聞いてみたい(笑)。「先輩後輩関係なく競い合うように」と御大は4人にハッパをかけたとの事で「劇的な要素」を排した分、より<有閑姉妹>の日常を生き生きと演じてマス。ちなみに全員関西人じゃないので「発声」には大変苦労したそうだが^^。


 また、ファンが御大の映画に魅かれる理由のひとつに「撮影技巧」と「編集術」があるが、金田一映画同様今作でもバッチグー(死語)!いつもの片側からのみ照明をあて人物にコントラストをつける手法を基準として、プラス桜による「ピンク色の明かり」や「夕焼けの赤」、窓ガラスによる「グリーンの明かり(=登場人物の心理描写)」などなど・・・それらが巨費を賭けて再現された高級着物の数々(勿論、着ているのは先述の美人女優たち)や嵯峨野の紅葉や桜(=撮影時期が初秋のため、これも再現!)に映える映える。この照明テクを森田芳光は「それから」で参考にしたと思うね、筆者は(笑)。


 また「編集」もド頭から凄い!冒頭、黒ベースにタイトルINしたあと「嵯峨野の山の風景」と「雨に濡れる桜」のよりが数カット入ったあと、いきなり佐久間良子のクローズアップ!で、その最初の台詞が「お金?」(笑)。更に古手川祐子吉永小百合石坂浩二と全てクローズアップで下世話な会話を展開させ、ポーンと室内のカットへ。観客を一気に掴む見事な入り方だ。決してセオリーの編集方法じゃないから・・・こんなつなぎ方を出来るのは御大だけだろう。これテレビでやったら、余程理解のあるプロデューサーではない限りダメ出しされる(苦笑)。御大が構想当初から、編集とアングルを考えに考え抜いた末での結論だろう。台詞途中に入る印象的なインサートの数々は(=これも市川映画のお約束)映像のテンポアップも兼ね、効果的だ。


 市川御大がこの「細雪」を「好きな自作」に挙げた理由ですが・・・御大はハッキリとはコメントしていないんだけど、推察するにまず御大が助監督時代からの念願の企画であったことがひとつ。そしてラスト前の「石坂浩二がひとり、店で酒を飲むシーン」の脚本は・・・長年、がんで闘病していた夫人で脚本家の和田夏十(本名:市川由美子)が書いたもの。御大と和田の<これまでの共闘>は、映画ファンなら良く知っている事なので割愛するけど、その奥様は「細雪」の完成を観ずに亡くなった・・・。こういった思いが交錯してでの発言だと筆者は思う。
 何故なら後年、夫人の脚本の文言をまんま映像化する為に「ビルマの竪琴」をわざわざリメイクし、「かあちゃん」は夫人が別の監督に書いた脚本をひっぱり出しての再映画化!和田が死してなお市川に多大な影響(そして深く愛していた)を与えていた何よりの証明だろう。

 
 その市川御大も鬼籍に入った。映画人は彼が残した作品の数々を後世に伝え、その技法を発展させていく事が責務ではないだろうか。
 ・・・な〜んて最後はシリアスに書いちゃった^^!