其の547:欧州製サスペンス「刑事マルティン・ベック」

 ・・・2014年も残り2か月を切りました。あ〜、年ばかり食っていく・・・(涙)。

 さて、前回の流れでまたまた<ヨーロッパ映画>を。日本では残念ながらあまり公開されていないスウェーデン映画ですが(筆者も「私は好奇心の強い女」とかごく少数しか観ていない)、言うまでもなく中には世界に通用する傑作・秀作・佳作がある訳ですよ。1976年に作られた「刑事マルティン・ベック」(←ミステリーマニアならご存じ、あのベックですよ!)もそんな中の1本だ^^。


 スウェーデンストックホルム。入院中のニーマン警部が何者かに殺された。それも銃剣が使われた惨殺死体となって・・・。現場にかけつけた刑事マルティン・ベック(→演じるのはスウェーデンで人気を誇ったコメディアン、カール=グスタフ・リンドステッド)らは、実はニーマンが悪徳刑事で、軍隊時代にも悪名を轟かせていた人物だった事を知る。ベックの捜査が徐々に真相に迫る中、突如市内で警官連続射撃事件が発生してー!!


 そもそも<刑事マルティン・ベック>とはスウェーデンの作家夫婦、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーによる全10作からなるシリーズ物の警察小説の主人公のこと。ウォルター・マッソー主演、スチュアート・ローゼンバーグ監督で映画化された「笑う警官 マシンガン・パニック」(’73・米)はこのシリーズ中の一作(主人公の名前も舞台もハリウッド的に変更されてるけど)。今作はシリーズ第7作目にあたる「唾棄すべき男」が本国スウェーデンで(ようやく?)映画化されたという訳。

 監督はボー・ヴィーデルベリ(1930〜97)はナイスな邦題「みじかくも美しく燃え」(’67)で世界的ヒットをとばした御仁。今作では自ら脚本(わりと原作に忠実)も担当、現場で“燃えに燃えまくった(良くも悪くも)”(笑)。

 ボー監督は冒頭の悪徳刑事惨殺シーンで観客の度胆を抜き(「つかみはOK」❤)、前半の捜査の一連は手持ちカメラを多用するセミ・ドキュメント風で、西欧映画らしい淡々とした調子ながらも緊張感を持続させる。なんでもベックの刑事部屋ほか、本物の警察署をロケで使用。登場する警官やジャンキーも本物なら、惨殺シーンで飛び散る大量の血も<血糊>ではなく、わざわざ豚の血をスタッフに調達させたという・・・(絶句)。原作小説はスウェーデンの社会情勢も加味したリアルな内容が高く評価されている訳なのだが(今作のテーマは<警察腐敗>)どこまでマジリアリティー追及してんねん、ボーさん!!“リアル”といえば、小説のベックの設定が40、50代ということで、その意味でいえばベックを演じたカール=グスタフ・リンドステッドも頭髪が薄い&肥満の中年ということで・・・その意味でも実社会的にはリアルっちゃあーリアルだが(原作者のイメージは若き日のヘンリー・フォンダということで全然ちゃう)。

 そんなリアリティー溢れる捜査ドラマが一転、後半はライフル魔出現による<大アクション・シーン>に!!このいきなりの変貌ぶりはタランティーノが脚本書いた「フロム・ダスク・ティル・ドーン」並(笑)。中でも凄いのは(原作に書いてあるとはいえ)ストックホルムの市内でヘリコプターが大勢のヤジ馬の中に墜落するとこ(勿論、ノーCGのマジ実写)!!こういう大規模な撮影は当然のことながら「緻密な段取り」と「安全対策」が必要不可欠なんだけど、ボーさんはそういうのが苦手だったそうで(おいおい)、現場は完全な<カオス状態>だったそうだ(苦笑)。

 ボーさんは落ちてくるヘリを真下にある地下鉄の入口階段から撮りたかったそうで(→前半の手持ちカメラ含めウィリアム・フリードキン監督の「フレンチ・コネクション」に影響受けてたんだと)その場面は自ら撮影を担当、迫力満点の映像をフィルムにおさめることに成功している。読者は是非ご自分の目で確認してほしいっす。寸前にカメラが逃げるのも分かるんで(笑)!

 また、ビルの梁の上や外壁を昇らなければならない危険を伴う撮影ではスタントマンを使わず、ビビる俳優たちに拝み倒して演じさせる等、「映画の為なら何事をも厭わない」というボー・ヴィーデルベリの<過剰なヤる気と狂気>が全編を彩った結果が今作だといえるだろう。刑事ドラマとハードアクションの「一粒で二度美味しい」秀作です(最後の最後は、もう少し余韻があっても良かったかなとは思うけどネ)。加えて、今作ではほとんど劇伴が使われていない事でより現実感を高めていることも付記しておきます♪

 
 DVDのインタビューでボー監督について当時のスタッフ・キャストがあれこれ語っていますがー<映像の現場>ではよくある事なんだけど・・・演出家が「いい人」だと周囲の意見を聞き入れる分、作品が平均化しちゃって、出来が普通になることが常なのだけど(本当です)、ボーさんのような「とがったタイプ」だと時に傑出した作品が出来上がる(先述のフリードキンもこのタイプ)。勿論、スタッフ・キャストとの軋轢はすさまじいものがある訳だが・・・あくまで孤高の芸術家として傑作を残して死ぬか、あるいは作ったのは凡作ながらも皆に愛された好人物として死ぬか・・・創作に関わる上で本当に難しい問題だと思う。うまく両者の中間をとれればベストな訳だが、なかなか現実的にはそうもいかないしね・・・。筆者もどちらがいいのか、未だ答え出せズ(悩)。


 <余談>「スター・ウォーズ エピソード7」のサブタイトルが発表されましたが・・・こんな調子で小出し小出しで公開日までいくわけだよね。愉しみなような怖いような・・・。