其の535:ブラックユーモアたっぷり「毒薬と老嬢」

 バタバタしている間に・・・もう6月も終盤(マジか)!ホント、日々があっという間に過ぎるなぁ・・・(溜息)。

 以前にも書いたとは思いますが、筆者の人生の愉しみのひとつは“寝る前の時間、ビールを飲みながらミステリー小説を読む”ことで・・・そんな中、古いながらも面白い映画を思い出しましたヨ!そのタイトルは「毒薬と老嬢」(’44)!監督はフランク・キャプラ。キャプラといえば<映画名作ガイドブック>に必ず掲載されるであろう「或る夜の出来事」や「スミス都へ行く」、「素晴らしき哉、人生!」ほかの傑作、名作を残した巨匠のひとり。「毒薬と老嬢」はハートフルな作品で知られる彼のキャリアの中でかなりの異色作^^。そうじゃなきゃ、筆者がこのブログでキャプラを取り上げることは最後までなかったろうなぁ(笑)!


 ある「ハローウィン」の日のこと。ブルックリンの大邸宅に住むアビーとマーサのブルースター老姉妹。彼女たちには3人の甥がいる。そのうちの1人、演劇評論家にして“結婚否定派”のモーティマー(=ケイリー・グラント)は、ブルースター家の隣に住む牧師の娘エレイン(=プリシラ・レイン)と結婚。ハネムーンの前に結婚報告するため伯母たちの家を訪れた。ところが彼は偶然、リビングにある死体を発見!!問い詰めると、なんと2人は孤独な異性の老人を無事に天国に送りたいと考え、部屋を貸してやるといっては家に誘い、毒入りワインを飲ませては次々に人を殺していたのだ。この状況をどうするべきかモーティマーが新妻そっちのけで右往左往する中、モーティマーの兄で昔から仲の悪いジョナサン(=レイモンド・マッケイ)がアインシュタイン博士(=ピーター・ローレ)と共に20年ぶりに帰って来る。ますます事態はややこしい事にー!?


 ブロードウェイで大ヒットした舞台劇のほぼ忠実な映画化(それ故、ストーリーはほとんどがブルースター家内で繰り広げられる)。ぶっちゃけ、<ブラックユーモアたっぷりのサスペンス・コメディー>といったところか(筆者は藤子不二雄A先生の漫画も含め、ブラックユーモアもの大好き^^)。一番の見所は近所でも評判の好人物ながら、実は連続殺人犯の老姉妹(でも悪いことをしているとは全く思ってない)に振り回されるケイリー・グラントのテンパりぶり^^。グラントは<サスペンス映画史の観点>で考えると、今作の時点ですでにヒッチコックの「断崖」に出演済(←これはマジな作品だけど)で、後年、オードリー・ヘップバーン主演の軽快な御洒落サスペンス「シャレード」にも出てる。イケメンだけど“マジもギャグもよし”がグラントの良さだね❤彼が驚愕するシーンは必ずカメラ目線でこっちを観る(笑)。

 あと面白いのがジョナサン役のレイモンド・マッケイ。もろ<フランケンシュタイン>のメイクしてて、劇中何度も「ボリス・カーロフに似てる」と言われて激怒する(笑)。というのも元になった舞台では、この役をボリス・カーロフ本人が演じていたので、それをパロってるわけ。舞台同様、今作にもカーロフ本人が出ていてら・・・もっと笑えただろうな(例:「七年目の浮気」で主人公がモンローを見て「マリリン・モンローそっくりだ!」と喜ぶギャグと同じ)。

 先程、“ヒッチコック”の名前を出しましたが、今作ではグラントに加え<ヒッチ映画出演者>が他にも何気に出ていて(→余談ですが、グラントは「断崖」のほか「汚名」、「泥棒成金」、「北北西に進路を取れ」の計4本に出演)エレイン役のプリシラ・レインは「逃走迷路」(’42)に、気弱なアインシュタイン博士のピーター・ローレなぞはドイツの古典的名作「M」(’31)の他、ヒッチの「暗殺者の家」(’34・英)とかにも出てる。イギリスから来たヒッチコックは渡米第1作目の「レベッカ」(’40)でいきなりアカデミー作品賞受賞しているから、巨匠キャプラも少々、ヒッチに影響されて今作にのぞんだのかもしれない(違ってたらメンゴ)。

 横溝正史の「獄門島」並に“狂人登場率”が高い今作(粗筋では割愛したけど、もうひとりいる甥は自分をルーズベルト大統領だと思ってる“電波系”。彼も笑わせてくれます^^)を支えているのは各俳優の名演とキャプラのテンポのいい演出!「室内もの」はともすれば抜けの背景が変わらない分、単調になりがちだし。なんでも彼はシナリオを学び、映画界入りしてからはスタジオ内でコメディー作品のギャグやアイデアを担当していたというから「さすがフランク・キャプラ!」といったところか♪

 で、ふと考えてみると・・・“思わぬ死体で右往左往する”・・・という話の骨格は、ヒッチコックの「ハリーの災難」(’56)と同じじゃない(勿論、「ハリー〜」は原作ありですが)!!もしかするとヒッチに多少なり影響を受けて作ったキャプラの「毒薬と老嬢」を観たヒッチが、それに少なからず影響されて後年「ハリー〜」を作ったとしたら・・・?証拠はなにもない筆者の邪推なんだけど、こういう見方も出来るのが映画の面白さのひとつじゃないですかねぇ。


 
 「毒薬と老嬢」の中でグラントがハネムーンに行く予定にしていたのは“ナイアガラの滝”だと何度も言うので・・・つい、マリリン・モンローの「ナイアガラ」(’53)を久々観てしまった(苦笑:「毒薬〜」はモノクロだけど、こちらは時代が進んでいるのでカラー作品)。ここでかの“モンロー・ウォーク”が登場した、という映画史的な価値は認めるけど・・・いま観ると、モンローの魅力で押し切った作品だと思った。サスペンスといえばサスペンスだけど・・・余り具体的に書けないけど、各キャラクターの人物の掘り下げ方が浅いし、モンローよりはジョゼフ・コットンがメイン的な・・・さらにいえば2人に絡む女の子がヒロイン的な微妙な作り方だし。ただ、筆者は現地に行ったことがないので、ナイアガラを観る観光映画としては良かったかな。



 話は大きくそれますが・・・よく言われることだけど、音楽も映画も基本的な作り方はもうほぼ出尽くしたかもね。さらに映像表現を発展させるにはリアリズムを更に追及するか(例「プライベート・ライアン」)、タランティーノ的に引用&シャッフルしていくか、あるいは近年の「宇宙人もの」や「ゾンビもの」のように“バリエーション”を広げていくか(「立ち小便する宇宙人」とか「ペットになる面白ゾンビ」とか)そこでゾンビについては筆者も考えた!行動原理&生体的原理はイマイチ不明ながら、ゾンビは人を食べるでしょ(これは仲間を増やす行為も兼ねているのだが)。ということは当然“排泄”する行為が必然な訳で・・・。これからゾンビ作る人には是非、う●こをするゾンビを描いて貰いたい!主人公が危機一髪という時にゾンビがう●こし始めて、その隙に逃げるとか・・・。まぁ、それをやったらギャグにしかならないけどね(苦笑)。