其の536:2014年上半期総括&「渇き。」感想

 昨日、中島哲也監督の新作「渇き。」を観ました。個人的には「進撃の巨人」を降板した中島さんが“いつの間にか”今作を作ってた感じ。「渇き。」については後述しますが・・・ロマンチックなイメージがある<七夕>に観る映画じゃあなかったなぁ(苦笑)。


 大して本数観ていないんですけど、“お約束”で今年度上半期を振り返ろうかな、と(マジで日にち過ぎるの早い!)。以下、純粋に劇場で観たもののみ記載(TV放送、DVD、試写会ほか除外)。


 ①:「大脱出」(1月)
 ②:「キック・アス ジャスティス・フォーエバー」(3月)
 ③:「銀の匙」(4月)


 ・・・少ない。少なすぎる!!昨日観た「渇き。」は<7月>なので入れてないけど、それ入れてもたった4本だし!!忙しくて見逃した作品も少々あるけれど、個人的には例年にないほどこの上半期は<観たい映画>がなかった、という事。
 上記3作はどれも「傑作!!」・・・ではありませんが、大ハズししなかったのが救い^^。今月から来月にかけてはトム・クルーズが<パワードスーツ>着てる「オール・ユー・ニード・イズ・キル」と、ハリウッド版「ゴジラ」は観るつもりなので、下半期は鑑賞本数を増やしたいとは思ってます。にしても、この調子だと今年は1年トータルでも少ないかもな〜(汗)!
 でも筆者のように40代半ばにもなると・・・中高校生の時みたいに「アレもコレも」ーとはならないんだよね。経験値に基づいて言えば、選びに選んで観に行くやつ10本チョイスしても、結果、本当に面白いのって2本ぐらいあればラッキーって感じだもの。残る下半期も筆者が本当に観たいものを観る・・・というスタンスで劇場に行こうと思います^^。



 では、先述通り映画「渇き。」について。原作は第3回「このミステリーがすごい!」で大賞を受賞した深町秋生の「果てしなき渇き」。中島哲也が共同脚本・監督を務めている(さらに言えば映画化の発案も)。勿論、<ネタばれ>はありませんぜ❤


 元刑事でいまは警備員をしている藤島(=役所広司)。彼は立ち寄ったコンビニで店員が全員殺されている現場を目撃する。その直後、離婚した元妻(=黒沢あすか)から娘の加奈子(=新人・小松菜奈)が行方不明になったとの連絡を受ける。久しぶりに訪れたかつての我が家で藤島が加奈子の鞄を調べてみると、そこには覚醒剤が・・・!行方を探すうち、次第に藤島は娘の“本当の姿”を知るようになる・・・。


 人間のダークサイドを容赦なく描いて賛否両論の今作。キャッチコピーが「あなたの理性をぶっ飛ばす劇薬エンタテインメント!!」とあるが、劇薬はおろか“猛毒”!出てくる人たちも感情移入できない人ばかりで・・・これは賛否分かれて当然ですな(苦笑)。ただ中島作品って「嫌われ松子の一生」しかり「告白」しかり、悲惨過ぎて読むとブルーになる原作を取り上げるのはこれまで通りの流れだし(←本人の趣味)、“話題”になるものって「いいか、悪いか」「人気あるか、なさ過ぎるか」の両極端でしかないから、その意味では中島監督は今回もいい作品をチョイスしたとは思う。

 中島作品だけに、俳優陣は三谷幸喜作品並に超豪華。主演の役所広司(←そういえば、この人も三谷作品常連)は久方ぶりに“ロクデナシ男”を熱演!全編に渡って汗の量と衣装の汚さはハンパない(笑)。悪魔のようなヒロイン・加奈子役の小松菜奈はデルモ(←業界用語)で、今作でスクリーンデビュー。新人だから大して演技ができないのを逆手にとって、中島監督は彼女独特のふんわりしたムードを最大限に生かすことで魅力的な悪女を創り上げた。ただ、今作のイメージがあまりに強烈なので、今後この役のイメージから如何に脱却するかが本人の課題となりそう。「サイコ」のアンソニー・パーキンスのようにならないことを祈るのみ。この他、「嫌われ松子の一生」で中島監督と揉めた中谷美紀(中島監督の演技指導の厳しさは有名なお話)、「告白」で知名度を上げた橋本愛のほか、妻夫木聡オダギリジョー國村隼二階堂ふみ青木崇高らが出演。皆それぞれ印象に残る演技を披露してる。

 ストーリー自体は<よくあるハードボイルド>のパターン。その中に過去の回想交えて“家族の断絶”、“いじめ問題”、“薬物使用の低年齢化”といった社会問題がクロスして入ってくる構成(さらにはタブーな性の問題も)。そんな超ヘビーな話を中島監督は過去の作品同様、CMディレクター時代の技量をフルに発揮したポップでカラフルなテイスト&遊び心も交えた“中島印”で演出(タイトルバックはハリウッドが昔量産していたB級犯罪映画のパロディー。その反面、全編、暴力シーンで飛び散る血は大量!!)。トニー・スコットの映画みたいにチャカチャカ、カットが変わるんだけど・・・<ミステリー映画>だけに、キーポイントや伏線となるところはしっかり見せないといけない訳で・・・そこがチャカチャカ編集で少々わかりにくくなってるのは勿体なかった。肝心なところはじっくり・しっかり見せないと。

 ただね〜・・・超重量級の話を少しでもライトに見せる意図&いつものポップでカラフルな作風を期待するファン心理ーを考えてあえてやったことだとは思うんだよね。筆者もこのテの編集は好きで昔はよくやってたんだけど・・・冒頭からテンポを速める編集して、残りを普通につなぐと、ともすれば“タルく見える”デメリットが生じる時もあり・・・この辺りが作る側から言えば難しい。ただ今作でいえば、これまでのスタイルを半ば放棄しても、普通につなぐ(という言い方が適切かどうかは分からないが)方が良かったと思う。同じチャカチャカ編集でも大幅な改訂をしていない分、森田芳光の「模倣犯」の過ちは犯していなかったのが救いだろう^^。深町秋生も「よくこれを映画にしたなぁ」と感心、映画を誉めてるし。


 「渇き。」、筆者は嫌いじゃないけどね。ところどころ笑えるところもあったし(やっぱりユーモアもないと)。ただ、心に残るのは映像表現だけだが(残念)。もしかすると中島哲也は、どんなに酷い話でも端から見たら「ろくでもない大人たちとバカなガキたちが自爆する話」と考え、“中島版「時計じかけのオレンジ」”を作ろうと思ったのかもしれない(ちょっとは)。キューブリックのように引いた視点では撮ってないけどさ。今作を観てヒロインや映像ビジュアルも含めて「時計じかけ〜」を思い出したのは・・・筆者だけかしら???