其の405:メルヴィルが描く男の世界「仁義」

 ようやくデヴィッド・フィンチャー監督最新作「ソーシャル・ネットワーク」を鑑賞。女にふられたことがきっかけで、後のSNS「フェイスブック」を立ち上げた主人公のお話。
 「実話」ということですが・・・<思わぬ成功によって次第に面倒な事態(→今作の場合は親友ほかに訴えられる)が起こる>という基本設定に目新しさはない(売れたロックバンドとかでよく見られるパターン)。主人公も頭はいいけど、社交性のない早口のパソコンおたくで、彼には全く感情移入出来なかった(→このテの小さい時から勉強だけしてきたせいで、まともに人と接することが出来ないタイプの人、何人か知ってる)。「金持ちになっても不幸」というのもハワード・ヒューズの例を出すまでもなく、人類普遍の黄金パターン!要素は<あるある>パターンではあるものの、その反面、構成の妙(時系列が途中から入り交じってくる)とテンポの良さで全く飽きずに観ることが出来た^^。今度のアカデミーで、賞を獲れるかどうかは分からんけど(笑)。
 でもねぇ・・・フィンチャー作品を全てリアルタイムで観ている筆者としては、彼が撮らないでもいい題材。彼もリドリー・スコット同様、CFから商業映画を撮るようになった“ビジュアリスト”なのに、これまた先達のスコット同様、なにを撮りたいのか良く分からない・・・。彼独特の映像の復活を切に祈るのみ、だ。

 
 その一方、初期には様々な題材を撮りつつも、後年は優れた犯罪映画を連発し<フィルム・ノワールの巨匠>となったのがジャン=ピエール・メルヴィル(名前からしてもフランス人^^)。近年、再評価の機運も高いうえ、彼の代表作のひとつ「ギャング」(’66)はダニエル・オートゥイユ主演でリメイクされた程(邦題「マルセイユの決着(おとしまえ)」)。日本的に知られている彼の作品といえばアラン・ドロンの「サムライ」(’67)あたりになるのだろうが、筆者は今回「仁義」(’70)を取り上げようと思う。これ、母国フランスでは彼の作品中、最もヒットした作品なんだよね。ドロン様のほか、名作「恐怖の報酬」のイヴ・モンタンも出てるしさ^^!

 
 犯罪者ヴォージェル(=ジャン・マリア・ヴォロンテ)は夜行列車で護送中、マティ警部(=今作公開前に急逝したブールヴィル)の隙を見て脱走に成功する。丁度その頃、刑務所で服役していたコーレイ(=ドロン)は仮出所の前日、看守からパリの宝石店強奪計画を持ちかけられる。出所した彼は昔の仲間から大金をせしめ、中古車を買って一路、パリへ。ところが途中、金を奪った男の部下がコーレイを見つけ出し、あわや危機一髪・・・!その時、彼を救ったのはヴォージェルだった。彼はたまたまトランクが開いていたコーレイの車に身を隠していたのだ。意気投合して宝石店襲撃計画を実行することにした2人は、射撃の名手ながら、いまはアル中で苦しんでいる元刑事ジャンセン(=モンタン)を仲間に引き入れ、宝石店泥棒に入るのだが・・・!?


 <フィルム・ノワール(→ノワールはフランス語で“黒”の意)>とは、第2次大戦後に公開されたハリウッドの犯罪映画(例:「マルタの鷹」、「深夜の告白」他)の持つある種のムードを、フランスの評論家ミシェル・デュランが総称して名づけたもの。それが50年代中頃、これらを模倣したフランス製犯罪映画のことを指すようになった(←勿論、戦前のフランスでも、そのテの類の映画はあって「ミリュー(やくざ)映画」等と呼ばれた)。いまでは世界中で犯罪映画は作られているので・・・一部の研究者が言うように<フレンチ・ノワール>と呼んだ方が正確かも知れない。<フィルム・ノワール>とほぼ同時期に「暗黒叢書」と名付けられた犯罪小説専門のシリーズを映画化した<セリ・ノワール>なんていうものもありましたが(「現金に手を出すな」、「男の争い」他)・・・今じゃ誰も言わんなぁ(苦笑)。

 そんなフレンチ・ノワールの第一人者が先述のジャン=ピエール・メルヴィル(1917〜73)。第2次大戦中、対独レジスタンス活動に参加した経験がある(→これが元で後のアメリカ好き&男くさ〜い作風の土壌が培われたのだろう)。1947年、助監督経験がない中、短編を経て初の長編商業映画「海の沈黙」を監督(製作、脚本、編集も兼任)。<先駆者>として後のヌーヴェル・ヴァーグ一派に多大な影響を与えた。1962年、ジャン=ポール・ベルモンドを主演に迎えた長編7本目の「いぬ」で初のフィルム・ノワールを監督。以後、「ギャング」(’66)、「サムライ」(’67)、「影の軍隊」(’69)とノワールものの傑作を連発、タランティーノの他、ジョン・ウージョニー・トーらに影響を与える。「仁義」はメルヴィルの長編12作目にして、アラン・ドロンを主役にむかえた2本目に当たる作品(13本目にして遺作となった「リスボン特急」も含め、ドロンとは3本、コンビを組んでいる)。


 <あら筋>でも書いた通り・・・お話は難しいことは何もない、よくある<パターン>。その分、人物造形が面白い!口髭をたくわえ、5年に及ぶ刑務所暮らしでもキチンと髪を整えてるクールなアラン・ドロン(いま観ても男前)。その彼に宝石強奪を持ちかけるのが皮肉にも看守(笑)。こういうところにメルヴィルの人間観が反映されてますなぁ〜。ジャン・マリア・ヴォロンテはドロンと正反対で見た目からして野性味あふれる男!でも、そんな2人(→両者が何故犯罪に走ったのか、何をして逮捕されたのかは不明)が、互いの事情を深く語りあわずとも同じ匂いを感じて意気投合、再び犯罪に走る・・・。メルヴィル作品に出てくる男たちは大概、こんなホモ・ソーシャル(→ホモセクシャルまでいかない男同士の強い絆の意)の関係。こんな“男の固い友情”が我々、男子は燃える(萌えではない)んだよね^^
 中でも出色なのがイブ・モンタン。その昔、マリリン・モンローとの仲も噂された色男の彼が、アル中による幻覚(=虫やトカゲ他が大挙して現れる!)に脅える冴えない初老の親父かと思いきや、“仕事”を依頼された途端、スーツをビシッと着こなすナイスガイに変身!リアリティーは0だけど(笑)、これが<メルヴィルの世界>なの!ここで乗れない人はアカンね。
 で、この3人がまるで「ルパン三世」の如きチームワークで“目的”を遂行する訳。泥棒する前までは割りと淡々と進行するし、警察サイドの捜査状況と並行して展開していくので、カット割りの早い現在の映画を観慣れると、ちと退屈ではあるんだけど(フランス映画だし尚更)この辺りからクライマックスにむけドロン、モンタン、ヴォロンテトリオに加え、他の暗黒街の住人たち&マティ警部らが加わり<友情と裏切り、破滅>へのドラマが加速!目が離せなくなってくること請け合い^^V
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちを支えた名カメラマン、アンリ・ドカエによる色彩を抑えたクールな映像(→「キタノ・ブルー」のルーツかも?)、そして、ごくたま〜に流れる音楽のつけ方も映画にとてもあっている(いまの映画は音楽でむやみに盛り上げようとし過ぎではないかい)。 
 そんなメルヴィルさんは相当、自我の強い人だったそうでキャスト、スタッフには大変厳しかったという。助監督なんかはきっちり準備とリハーサルを済ませてからでないと監督室に本人を呼びに行けないほどだった。おまけにスタジオでのセット撮影は好きだけど、夜型のため、早朝のロケ撮影は嫌いだったんだって(笑)。そんな彼ゆえ「ギャング」と「影の軍隊」に主演したリノ・ヴァンチュラとは「影の軍隊」で、今作ではヴォロンテ&長年の盟友ドカエと衝突、決裂してしまう(→ドカエの場合は、あまりの商業主義ぶりに嫌気がさした、という説も)。「優れた作品を創る人ほど嫌な奴」だと言うけど、メルヴィルもそんな図式に当てはまった人なのかもしれない。しかし、そんな彼の作品だからこそ、時代を越えて愛されているのだろう(今後もフィルム・ノワールについては時々とりあげる予定)。

 
 ・・・にしても、日本では「サムライ」や「影の軍隊」のDVDが廃盤。「ギャング」に至っては未発売って・・・どういうこと??日本のメーカーさんは早く発売してください!!あとベルトルッチの「1900年」もね(もう何年もいってるゾ)!!