其の206:男のインナースペース「髪結いの亭主」

 久々に「女性も好き系」&「最近、聞かなくなった監督シリーズ」を(笑)。フランスの監督パトリス・ルコントはコンスタンスに作品を発表しているようですが、余り話題になりませんなぁ(ファンの方、ごめんね)。監督10本目にして日本で初めて紹介された作品が「髪結いの亭主」(’90)。あの有名な「脚を組む女性」のポスターは・・・じゅうぶんエロい!官能的だ(笑)。これでつられて観た男性陣も多いと筆者はにらんでいる^^


 中年男アントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)は少年時代より床屋が大好き。特に女性理容師に散髪してもらうことを至上の喜びとしていた。そんな彼が念願叶って、床屋のマチルド(アンナ・ガリエナ)を妻とする。ふたりは住宅兼店舗で様々な客と接しつつ、楽しく暮らしていたが・・・結婚10年目、アントワーヌに思いもしない出来事が起こる。


 「髪結いの亭主」で脚本&監督を担当したパトリス・ルコントは漫画家、CMディレクターを経て映画監督になった変り種。子供の時は床屋が好きで「大人になったら理容師と結婚しようと決めていた」のだとか。要はルコントが己の願望(笑)を映画にしたのが今作である。
 主演を務めたジャン・ロシュフォール(ルコントの前作「タンデム」にも出演)は、脚本を読んでルコントに「きみのアントワーヌ・ドワネル(=フランソワ・トリュフォーの分身的キャラクター)になるよ」と告げたそうだが、この主人公、妻が仕事してるのに後ろから乳揉んだり、突如アラブ風の踊りを踊るかなりユニークな人物なのだが思いっきり、モデルがバレてる(笑)。
 ちなみに主人公は自己流のアラブ風の踊りをよく踊るのだが・・・これもルコントの夢かどうかは定かではない(苦笑)。


 主人公の「少年時代の海辺のシーン」ほか若干の外の場面(オープンロケ)以外、映画の大半が「美容院内」で展開。その為、ルコントは全てをコントロールするためスタジオ内にがっちりセットを組んだ(撮影は名義上、エドゥアルド・セラになっているが、実際にカメラを回したのはルコント本人)。 通常ならどこからでも撮影できるように四方が取り外しせるセットを組むものだが、ルコントはあえて「撮影が左右される束縛感も好きなので」(本人談)、がっちりセットを組んだという。柔らかな美しい映像といい、CM時代に培った手腕がこのセット撮影に発揮されていると言っていいだろう。


 「美容院内」で物語が展開するのはー察しがいい方ならもうお分かりだと思うが、店はイコール「主人公の小宇宙」だ。「好きな美容師の妻さえいてくれれば、他はどうでもいい」ーという主人公の内面が投影・具現化されたもの。ここでアントワーヌは妻の働きぶりを観ながら、時々エロい悪戯もして(笑)日々を送る。台詞やナレーションでも「男が妻に出会うまでどんな暮らしをしていたのか?」は一切言及されないし、主人公が妻にかわって「主夫」していることも台詞にはあるが、そんなワークシーンは皆無。「憧れの生活」を手に入れた男とその妻の日常が淡々とシンプルに描かれてゆく。


 だが、さすが「フランス映画」だけにこの「愛の映画」は、一筋縄ではいかないのですね(苦笑)。ネタバレになるから詳しく書けないけど・・・やはり男は地に足が着いていない「夢想家・ロマンチスト」で、女は「現実的・ペシミスト」である事を容赦なく観客に(唐突に)叩きつける。いい歳こいても「ガンダムだ、エヴァだ、仮面ライダーだ」と喜んでいる日本の男たちは大いに胸が痛いだろう(筆者も:苦笑)。
ルコントは「いざ男の夢が現実になったら、その後はどうなるだろうか?」というひとつの回答をこの作品で提示した気が筆者はしてならない。ただ「官能的だ」、「甘く切ない男と女の姿」等の(ベタな)慣用句では収まらないと思うのだが・・・さて(誉めすぎ?)。ピーター・グリーナウェイ監督作品で知られるマイケル・ナイマンの曲もとてもいい。