其の320:日本の黒歴史「実録・連合赤軍」

 「バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争 2007−2008年版 邦画バブル死闘編」(洋泉社刊)が面白い。著者たちが毎月、公開された日本映画を自腹で観て、そのダメさ・いい加減さを徹底的に批判するという内容。筆者の愛読月刊誌「映画秘宝」の連載を書籍化したものなので全てリアルタイムで読んでいるのだが、改めてまとめて読むと爆笑!取り上げられた作品の関係者は相当ブルーになっていることであろう。でもへこむ前に猛省せよ!
 そんな邦画関係者恐怖の連載に取り上げられることもなく、高く評価された作品が「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」である。監督はあの若松孝二!「連赤」を扱った作品はこれまでにもあったが、それらとは一線を画す若松渾身の一作だ。


 映画は1960年から日本及び世界の状況をニュースフィルムを交えて時系列で紹介しつつ、やがて若者たちが「連合赤軍(=「連合」だけに元々は「赤軍派」と「革命左派」と別グループだった)」を結成。1972年の「あさま山荘」へと連なる知られざる物語が語られてゆく。

 筆者はいわゆる「連合赤軍事件」を物心ついてから知ったクチだし(=生まれてたけど、まだ幼児だったからまるで覚えてない)、少々の書籍やニュース映像を見聞きしたレベルなので、彼らのやったことに対して言及する立場にはない。よって若松孝二と今作についてのみ書くことにする。詳しく知りたい人はーいつも書くことだがー自分で調べて欲しい。学校で教えてくれないことは自分で調べる姿勢が何より大切だと思うので。

 若松孝二(1936年、宮城県生まれ)は高校を退学したのち家出して上京。新宿で映画の撮影現場の用心棒(!)をしたことがきっかけでテレビ映画の制作助手としてキャリアをスタート。63年、「甘い罠」で監督デビュー後は一味違うピンク映画を監督として量産。65年、若松プロ設立。「壁の中の秘事」、「情事の履歴書」、「犯された白衣」、「狂走情死考」、「現代好色伝 テロルの季節」、「性賊 セックスジャック」、「胎児が密猟するとき」、「天使の恍惚」ほかで<ピンクの巨匠>、<性と暴力の作家>、<反権力の作家>として60〜70年代に圧倒的な人気を獲得。また、プロデューサーとしても活躍(=大島渚の「愛のコリーダ」は彼のプロデュース作)。全盛期よりは発表本数は減ったものの、現役監督としていまも時代に影響を与え続けている。

 若松本人は「何故、いまこのテーマを?」との問いに対して「以前から考えていた企画」。「でも一番のきっかけは映画「突入せよ!あさま山荘事件」を観たから。山荘内部の若者のことをなにも描いていないのが許せなかった」とコメントしている。「突入〜」は昨年、「クライマーズ・ハイ」が高く評価された某監督の作品(笑)。このお方、人の作品はボロクソにけなすけど、自分は「ガンヘッド」や「おニャン子クラブ」の映画を撮った過去をお忘れか(大笑い)?数年前、あの長谷川和彦監督も連赤を題材にした映画を撮ると語っていたが・・・企画が頓挫したのかもしれんね(残念)。

 若松は今作を撮るため、自ら借金して予算を調達(監督のほか製作、企画・構成、脚本、編集も兼任)。俳優陣には「マネージャーの帯同禁止」、「衣装は自分で時代や役柄を考えて自前で用意」、「ノーメイク(特殊メイクは除く)」、「自分の持つ小道具は自分で管理」、「完全合宿」を要求。DVDのメイキングを観ると、現代っ子の俳優たちがじょじょに当時の凄みを増した若者たちの表情になっていくのかがよく分かる。

 低予算ゆえ余りメジャーな俳優は出ていないが(=佐野史郎小倉一郎奥貫薫に「魁!男塾」の坂口拓、「蛇にピアス」のARATA&五輪の水泳で銀メダル獲った田島寧子ぐらいは分かるだろう)若松がキャスティングに一番こだわったのが遠山美枝子役の坂井真紀。映画の終盤前までは、比較的<遠山が映画の軸>となっている。何故か?

 実は当時「犯された白衣」と「性賊」がカンヌ国際映画祭の監督週間に上映されることが決まり、フランスへ出かけた若松と盟友・足立正生はその帰途、ベイルートへ向かい海外に活動拠点を移していた重信房子(=映画にも勿論、登場。2000年、大阪で拘束。現在、東京拘置所に収監中)とPFLP(パレスチナ解放人民戦線)に共鳴。足立と共にアラブゲリラの日常を写した「赤軍ーPFLP 世界戦争宣言」(’71)を作り上げた。帰国して、この映画を上映する際に手伝ったメンバーのひとりが・・・重信の親友でもあった遠山美枝子なのだ(後年、彼女が粛清されたことを知った時、若松は連赤に対して激怒したという)。筆者は彼女の写真などを見ていないので何とも言えないが・・・坂井に彼女の面影を見ていたのかも知れない。余談だが、のちに足立は日本赤軍に参加すべく出国。1997年、レバノンにて拘束され2000年、日本に移送された。現在は釈放されて再び映画監督としての活動を再開している。

 遠山の死後(=彼女が如何にして死に至ったのかは映画を観てください。陰惨なシーンだが・・・実際よりはまだマイルドな描写)メンバーが「あさま山荘」へ向かう「雪山行軍の場面(=冒頭にも使用されている)」は映画では昼間で比較的雪の量も少ないが、実際は夜間!機動隊に包囲されながらの決死行で雪も腰まで積もっていたそうだ。その事実を知る関係者にとっては「ここが甘い!」そうだが(=それに対して若松曰く「夜間じゃカメラに写らない」)映画的視点から観れば「肉体的にも精神的にも行き場を失くして彷徨う人々」が象徴された名場面だと思う。「実録」とは銘打っても、若松は再現ドラマを撮りたいわけではなかったのだし、このレベルの脚色は許されてもいい、と個人的には思うのだが。

 映画のクライマックスは、サブタイトル通り「あさま山荘」が舞台。で、使われたのが若松が実際に所有する別荘(山荘)!このロケセットを「あさま山荘」と見立てて、銃撃戦に放水やりまくり!!予算の問題で大勢の機動隊員や有名な「鉄球義兄弟」は出てこないけれど、その攻防の様子は迫力満点!そして、この「あさま山荘」で若松は最年少の若者を自己の代弁者として<時代を総括するメッセージ>を叫ばせる(=ここではあえて伏せます)。その言葉は非常にシンプルな一言なのだが・・・その言葉は当時の赤軍メンバーにどう響いたのだろうか。いろんな意見があっていいと思う。容易に正解が出ることではないし。


 日本という国レベルでは、この当時の状況を<総括>していないし、真の意味でも<まだ年が浅く歴史になっていない>と思う。収監されている人々もいるし、事件は完全に終わってはいないのだ。おそらく日本においては、明治維新以来国を良くしようと若者たちが純粋に立ち上がった最後の時代になるだろう。そのときに青春時代が重なった人たちが・・・少し筆者は羨ましい。
 後の歴史家たちがどう評するのか興味深いが「あさま山荘事件」以後、すっかり「シラケ」た日本人は自身の意見を主張し、国家権力に立ち向かう牙を未だ抜かれたまま21世紀を迎えている・・・。