其の310:「モンド映画」がもたらせたものとは

 2009年になりました^^本年も何卒宜しくお願い致します。

 いま思うに昨年は邦画・洋画問わず「新作紹介」が多めで、「ジャンル映画」をあまり取り上げていなかった気がする。いまは失われつつある(もしくは失われた)ジャンル「フィルム・ノワール」や「ジャーロ」等にも今年は言及したいと思う(「ヌーベルヴァーグ」は今更・・・ねぇ)。そんなわけで、2009年一発目に取り上げるのは「モンド映画」!中村主水ではありませんぜ。その代表格として有名な「ヤコペッティ世界残酷物語」(’62・伊)ほかを紹介します。新年早々「モンド映画」とは、我ながら素晴らし過ぎる(笑)。


 「モンド映画の原点にして頂点。その後のメディアのあり方を一変させた(注:100%マジで受け止めないように)」と言われている「世界残酷物語」。「モンド」とは「世界」という意味で、今作の原題「犬の生活」に由来している。この「犬の世界」という言葉は監督・脚本を務めたグァルティエロ・ヤコペッティ(1919年生まれ。名前からしても伊太利亜人)によるとイタリアの慣用句だそうで「(半ばあきらめを含んだ)なんてこった!」というニュアンスを含んでいるそうな。
 映画はヤコペッティがアジア、アフリカ(&欧米少々)各地を廻って撮影した変わった風習や奇祭、エグイ出来事を集めたショック・ドキュメンタリー集である(といってもタイトル通り、残酷なことばかりではないんだけど)。日本紹介パートも2つほどあるが(=どんなネタかは見てのお楽しみ)どうみてもありえない内容で、正直「やらせ」(笑)!そんな捏造(注:勿論、マジ部分もあるのだがナレーションはかなり誇張しているように思われる)に皮肉がこめられたナイスなナレーションとアカデミー賞にノミネートされた名曲「モア」がネタを大いに盛り上げている^^


 これが当時、カンヌ国際映画祭に出品されるやセンセーションを巻き起こし、世界中で大ヒット!当時はまだ海外旅行が一般的ではなかったという側面もあろうが・・・当時の人々は素直だったのかも(笑)。当然、ヒットに気をよくしたヤコペッティ(ちなみに「世界〜」は彼の初監督作)は以降「世界女族物語」(’63)、「続・世界残酷物語」(’64)、「さらばアフリカ」(’66)と二番煎じ三番煎じの「ショッキング・ドキュメンタリー」を次々と発表。モンド映画の立役者として君臨する。


 実は「世界〜」以前には「ヨーロッパの夜」(’59)とか「世界の夜」(’60)といった「夜もの」、「ヌードショーもの」と呼ばれた<裏観光映画>もありまして(=ビデオデッキの普及といい、「エロ」がメディアを発達させている事は純然たる事実)、ヤコペッティはそれらに脚本家として参加していたわけ。「エロの次に売れるのは残酷」という新たな鉱脈を見出した世界の映画人たちは以降、「モンド映画」を競って作るようになる(=勿論、ヤコペッティ的手法による「エロ・ドキュメンタリー」も)。
 筆者が10代の頃には、アメリカの電気椅子による処刑の様子を売りにした作品や女がどこぞの原住民たちに串刺しにされる「食人族」(=「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」の元ネタ)とか、ジープで人間の腕が引きちぎられる「カランバ」等の「モンド映画」がよく上映されていたなぁ(遠い目)。日本の「水曜スペシャル川口浩探検隊シリーズ」もこの延長線上にあったことは言うまでもない。これらの事を書いていくと延々終わらなくなってしまうので(苦笑)、詳しく知りたい方は洋泉社刊「エド・ウッドとサイテー映画の世界」中の「モンド映画のインチキな世界」の項をお読みください(絶版だったらゴメンね)^^


 一方、本家ヤコペッティは70年代に入ると「ヤコペッティの残酷大陸」(’71)、「ヤコペッティの大残酷」(’75)といった作品で「モンド映画の手法でフィクションを撮影する」といった新たな手法を試みたものの・・・ちょっと考えてみれば、それって「通常の劇映画の撮影スタイル」なわけで・・・興行的に惨敗。「大残酷」を最後にヤコペッティは映画業界から足を洗う。そして「モンド映画」も所詮やらせだと一般大衆も認識するようになり廃れていった。


 イタリアで静かに余生を過ごしていたヤコペッティは月刊誌「映画秘宝」2002年3月号でのインタビューでこう答えている。「私は生まれながらのジャーナリストだと思っている(中略)私の映画は映像で作る、新しいタイプのジャーナリズムの発火点となる運命だったんだろう。」ヤコさんは「私は映画作家ではない。映画も撮るジャーナリスト」と語っておられるが、筆者的には少々「う〜ん・・・」だ(苦笑)。


 では、この「モンド映画」なるキワモノは完全に絶滅したのだろうか?答えは「NO」だ。先の「エド・ウッドと〜」の「モンド映画〜」の項は以下の文面で締めくくられている。
 「今では、日本で放送されている番組のほとんどに、ヤコペッティ的モンド精神を見ることが出来る。その最もたる例は毎朝民放各局から流れてくるワイドショーだ。広く浅く凡庸でわかりやすくレポートされる、ゴシップ、スキャンダル、猟奇殺人、大惨事・・・、あれこそ現代の最も新しいモンド映画であり、最も純粋でいかがわしいジャーナリズムの正体なのだ。」(原文まま)


 そう、日本の全TVマンは・・・意識するしないにかかわらず皆「ヤコペッティの弟子」だったのだ(驚)!ちなみにここで同意・異論・反論・オブジェクションは受け付けておりません。どう考えるもアナタの自由。あしからず^^