其の221:これぞ本来の童話の味「パンズ・ラビリンス」

 前回の「シザーハンズ」から御伽噺、童話つながりで「パンズ・ラビリンス」をご紹介(2006年/スペイン・メキシコ合作)。「本当は怖いグリム童話」ではないが、本来童話や昔話は「教訓」に加えて<残酷性>が多分に秘められていた。かの「ピーターパン」の原書でも、ネバーランドの子供たちは成長するとピーターパンに殺される設定だったのだ(本当:フック船長よりピーターパンの方が恐ろしい)!
 そんな童話本来の持つ残酷さを加えて新たな物語を創作したのがメキシコ人監督、ギレルモ・デル・トロ宮崎駿のほか日本のアニメおたくとしても知られている(笑)。「レディ・イン・ザ・ウォーター」より数百倍、こっちの方が面白い(筆者比)!第79回(2007年)アカデミー撮影賞、美術賞、メイクアップ賞受賞。


 1944年、内戦終結後も余波が続くスペイン。童話を読むのが好きな少女オフェリア(イバナ・バケロ)は臨月の母と共に、軍人である義父ビダル(「ハリー、見知らぬ友人」のセルジ・ロペス)が駐屯する山間部を訪れた。仕立て屋だった父が亡くなり、母が彼と再婚したからである。だが、オフェリアはビダルの事がどうしても好きになれない。そんな時、彼女はひょんなことから不思議なナナフシを発見、声をかけると虫はみるみる妖精に姿を変え、彼女を駐屯地の裏にある遺跡へと導いた。そこでオフェリアは牧羊神「パン」から意外な話を聞かされる。それはオフェリアがかつて地底にある魔法の国のプリンセスであり、地上に出たことで全ての記憶を失ったーと言うのだ。その王国に戻るには3つの試練に耐えねばならない。オフェリアは試練に立ち向かう決心をし、実行に移すのだが・・・。


 「オズの魔法使い」、「不思議の国のアリス」、「千と千尋の神隠し」ほか<少女が試練を乗り越える>というのは童話の中の王道パターン!それにビクトル・エリセの諸作ほか「スペイン映画」では欠かせない「スペイン内戦(1936〜39年。詳しくはその方面の書籍で調べてね^^)」をベースに、ギリシャ神話の牧羊神パン(英語表記「Pan」。「パニック」の語源と言われる)や妖精、マンドラゴラ(根が人の形をしていて引っこ抜く時に悲鳴を上げるというあの植物よ)・・・と学研の「ムー」に書かれているような要素まで足して作られているのが本作。勿論、「フェノミナ」同様、少女を襲うぐちゃぐちゃドロドロ描写もお約束であり(笑)。
 監督、脚本を担当したギレルモ・デル・トロはハリウッド製活劇「ブレイド2」(’02)やアメコミの実写化「ヘルボーイ」(’04)で日本の一部の映画ファンにも知られるようになったが、今作の企画は長編デビュー作「クロノス」(’92)以前にさかのぼり、予算が調達できれば自身の第1作目になるはずだったそうだ。スペイン内戦(=ファシズム)を取り入れたことを本人は「大人のための御伽噺を描き出すには理想的な題材」と語っている。

 
 当初、ヒロインは8、9歳の設定だったが(エリセの「ミツバチのささやき」を彷彿)、イバナ・バケロをキャスティングしたため脚本を修正。かつては大友克洋の「童夢」の映画化をマジ企画していただけあって、「童夢」の主人公(=女の子)のイメージも入っているらしい(笑)。イバナは父親を失った喪失感に支配されたヒロインを好演!将来を楽しみに思った観客も少なくないだろう。彼女はデル・トロを評して「(過去の作品を全て観た上で)やっぱり天才だなと思いました。子供の扱い方も上手い人で、とても仕事がしやすかったです」だって(苦笑)。


 またユニークなのが、普通は少女の「試練」の場面になると以降はそれで一気に話を押し通すパターンが多いのだが、「パン・ラビ」では「試練」がひとつ終わると必ず「現実」のシーンに戻る。「異世界」→「現実」→「異世界」→「現実」。「異世界」は大人が見るとある種の恐怖感・奇妙感に襲われるが、かといって「現実」は軍隊とゲリラの血みどろの戦いが繰り返される凄惨な場所でもある。観客は当初「少女はおそらく現実逃避の手段として空想の世界に入っているのだな」と考えるのだが、次第に「異世界」の方が「現実」より遥かにマシだと思い知らされる。こうしてデル・トロの術中にはまっていくわけ(笑)。


 さてデル・トロ作品で欠かせないものといえば「クリーチャー」!「ミミック」(’97)では遺伝子操作された巨大ゴキブリ(!?)なども出て来たが、今回は牧羊神パンや手のひらに目を持つ人食い怪物ペイルマンが登場!リアル過ぎず、かといってデフォルメし過ぎず微妙な線で「造形」されている。これをCGではなく役者が今時<特殊メイク>をして演じている事には少なからず驚かされた。勿論、怪物以外にもアカデミーを受賞しただけあって異世界の場面の「美術」の凝り具合は相当なもの。観ていて、ちょっとバートンの「スリーピー・ホロウ」を思い出した。
 漫画のほか「映画」に造形の深いデル・トロは今作で「移動撮影」を多用。引いたサイズで横にドリーしていってカメラが物影に入ると、その後はその場面のよったカットにつないだり、場面転換したり。一時期、映画ジャーナリストとしてヒッチコックの研究書を執筆したぐらいだから、ヒッチの「ロープ」を参考にしたのかもしれない。ストーリーだけではなく「ビジュアル面」も大きな見所^^
 

 「ラストの解釈」は人によって異なるだろう。勿論、ネタバレになるのでここでは書かないけれど・・・筆者としてはハッピーエンドと思いたい。こういう苦く切ないテイストや感覚というのが冒頭に書いた「童話」が持つ本来の味ではなかろうか?毒気を抜いた物語だけを子供に与えるというのも大人としていかがなものか??少年少女雑誌に山ほど掲載されている不道徳なエロ漫画よりはよほど健全だと思うのだが??


 <追記>今作のプロデューサーに名を連ねているのが「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」や「トゥモロー・ワールド」の監督アルフォンソ・キュアロン(メキシコ人)。デル・トロとキュアロン、そして同じくメキシコ出身の監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ菊池凛子が注目された「バベル」の監督)の3人で今年、映画制作会社を立ち上げたそうな。今後の彼らの活躍から目が離せない。