其の258:コーエン兄弟の新たな地平「ノーカントリー」

 先日行われた第80回アカデミー賞で作品賞、監督賞ほか計4部門に輝いた「ノーカントリー」を観ました。我ながら公開2日目によく行ったなぁ(苦笑)。ジョエル&イーサンのコーエン兄弟(コーマン兄弟ではない)最新作です。ジャンル的には犯罪映画でありサスペンスなのですが・・・通常のパターンを越えた作劇が観られる映画でした。


 1980年代の米・テキサス。元ベトナム帰還兵のルウェリン・モス(「プラネット・テラーinグラインドハウス」のジョシュ・ブローリン)は偶然、砂漠の一角で数台のピックアップ・トラックと死体の山を発見する。トラックの荷台には大量のヘロインと200万ドルの現金が残されていた!即座に金をゲットしたまではよかったが・・・その夜、現場に戻ったのが悪夢の始まり。麻薬組織のメンバーに姿を見られた為に銃撃され、金を持っての逃亡生活を余儀なくされる。そんなモスから金を取り戻すため雇われた殺し屋がアントン・シガー(スペインの俳優、ハビエル・バルデム)。人を殺すことなど何とも思わない究極のヒットマン!逃げるモスに追うシガー、次々と増えてゆく犠牲者たち。事件の真相を察知した老保安官エドトム・ベルトミー・リー・ジョーンズ)はモスを保護すべく動き出すのだが・・・。


 コーエン兄弟は1984年「ブラッド・シンプル」で監督デビュー。以降「バートン・フィンク」(’91)、「ファーゴ」(’96)、「ビッグ・リボウスキ」(’98)、「オー・ブラザー!」(’00)ほかを手掛けた映画ファンでは知らぬもののいない超メジャー兄弟。これまでにもいっぱい賞を獲ってきたので、フランク・キャプラの真似してハズした「未来は今」(’94)についてはもう誰も語らない(苦笑)。そんな2人はこれまでオリジナルの脚本に拘ってきたが(翻案はあり)今回初めて原作もの(コーマック・マッカーシー著「血と暴力の国」)の脚色に取り組んだ。筆者は未読だが・・・映画は大変原作に忠実なんだとか。その割には原作で狂言回しとなる保安官の影が薄いよなぁ(クレジットはトミー・リー・ジョーンズがトップだけど、出番は少なめ)。


 まず、何より映画で印象的なのはテキサスの風景の数々(=原作と同じ)。ロケの大半はニューメキシコで行われたそうだが、冒頭は本物のテキサス西部(ついでに書くと後半出てくるメキシコへの検問所はセットというから驚き)!トミー・リー扮する保安官は「昔と違って、いまは道徳心が失われた」と日々嘆いているのだが、そんな病んだ現代人のすさんだ精神状態を表現するのにピッタリの舞台。そんな荒涼の大地の上で様々な俳優が今作を盛り上げる。


 「逃亡者」に「MIB メン イン ブラック」シリーズ、そして某缶コーヒーのCMで御馴染みのトミー・リー・ジョーンズ(最近はオスカー獲ったせいか「沈黙の戦艦」で悪役やっていたのも、もう誰も言わんなぁ)がうまい事は言うまでもないが、モス役のブローリンも「悪い事とは知りつつ金を奪う男」を好演。なんでも今作のオーディションが「グラインドハウス」の撮影にぶつかっていた為、オーディションに行くのを諦めていたところ、それを伝え聞いたロドリゲスとタランティーノが「それならば」と二人して「オーディション・テープ」を撮影してくれたそうだ。そうしたらテープを見たコーエン兄弟が彼の演技より「誰が撮影したのか?」に心を奪われたというオチあり(笑)。


 演技巧者が揃った今作だが(ちょい役ながら「ナチュラル・ボーン・キラーズ」、「ラリー・フリント」のウッディ・ハレルソンも出てる)なんといっても強烈なのがハビエル・バルデム扮する殺し屋シガー!おかっぱ頭なのに七三わけにしている変な髪型(コーエン兄弟は自分たちが指示したくせに、バルデムのヘアスタイルを見て爆笑したという)、空気圧で人も殺せるボンベを常に持ち歩く怪人。こんな見た目からして危ない奴とは決してかかわりたくない(笑)!心のままに誰かれかまわず人を殺す完全なワルで超不気味。自ら怪我を治療するシーンでは思わず「ターミネーター」を思い出してしまった。アカデミー助演男優賞受賞も納得である。


 コーエン兄弟はこれまでにもサスペンスを手掛けているので、ジャンル的にはお手のものだと思うがー今作ではくすりと笑えるところもあれば、中盤のシガーがモスのいるモーテルに侵入する場面では正攻法のカットつなぎに加えて現実音のみ使用し(「家族ゲーム」同様、映画用のスコアは一切なし)、男2人の<戦いの前の静けさ>をハイレベルな演出で見せてもくれる(観客は固唾を飲んで成り行きを見守るしかない。うまいっ!)。
そんな高度の作劇を見せたかと思うと終盤には一転して話の筋がなんだか変わっていき・・・「えっ?」というラストを迎える。ネタバレになるから書けないけど・・・この流れと設定では、普通はこうはならないし、しないだろう(=原作もこれで終わるそうだ。で、兄弟は脚色賞も獲得)。これは人によって賛否両論分かれるだろう。


 あえて例えで言うならば、ちょっとアキ・カウリスマキの「過去のない男」の作劇術に似ている。暴漢に襲われた主人公が記憶を失くすものの・・・普通なら<自分探し>がメイン・プロットになるところをカウリスマキはあえてやらなかった。いくらでも映画を盛り上げる事が出来るのに、だ。トミー・リー・ジョーンズはこの終わり方について「いい映画や小説にとって大事なのは(中略)考えさせられる問いかけをすることなんだ」とコメントしている。


 映画やTVドラマは、嘘の作り話を「これは現実ですよ〜」を大前提にして撮るものだと思うが(だから共感したり感動したりもする)現実は映画ほどドラマティックではない。ヒーローが危機一髪のところで救われたりするのは所詮<虚構の世界での出来事>なのだ。現実はそんなに甘くないし、理不尽なことが蔓延している!筆者は兄弟作品の全てを観ているわけではないのだが、二人はこの映画で確実にステップアップしたと思う。己の中に新たな地平を切り拓いた、とでも言おうか。ハリウッド映画にしては珍しい妙に後を引くラスト・・・まだ映画は公開されたばかりなので、是非観て頂いて、この項を再読して欲しいと思う。筆者が現時点で書けるのはここまで、だ。


 ちなみに筆者は「ノーカントリー」の配給に関わっていないし、関係者に知り合いもおりません。全くの無関係であります^^