其の174:ロッキー!ロッキー!「ロッキー・ザ・ファイナル」

 シルベスター・スタローン主演・脚本・監督「ロッキー・ザ・ファイナル」を観て参りました!筆者の世代では「ロッキー」は外せないでしょ、やっぱり。この年になって、また続編を観ようとは・・・正に「スター・ウォーズ」状態(笑)。前作(「ロッキー5 最後のドラマ」)は大失敗作でしたが、今回は大上出来!!熱い名台詞の数々と勿論、頭のタイトルの出方やビル・コンティによるテーマ曲も<お約束通り>!懇意にして頂いている映画評論家の先生も星5つ付けていたぞ(笑)。


 物語は第1作でアポロ(カール・ウェザース)と戦ってから実に30年後の現在(リアルタイム)!ボクシング界から引退したロッキーは妻エイドリアン(シャリア・タイア)に先立たれ(ガンで死去)、社会に出た息子とは疎遠。細々とイタリアン・レストランを経営する寂しい毎日を送っていた。その頃、TV番組で無敗の現ヘビー級チャンピオン・ディクソン(撮影当時、本当にライト・ヘビー級チャンプだったアントニオ・ターヴァー)とロッキーの<仮想対戦シュミレーション>が人気を集めていた。心の喪失感を埋めるべく再びライセンスを取得したロッキーの前にディクソンのプロモーターが現れ「エキシビジョン・マッチをしないか」と話を持ちかける。周囲の協力を得て(「ポーリー」のバート・ヤングも健在)、彼は人生最後のリングに上がる決意を固めたー!


 <シリーズ第1作>は売れない俳優のスタローンが1975年3月に行われたモハメド・アリ対チャック・ウェプナー戦に感動して3日で脚本を執筆。自らの主演を条件に低予算ながら製作された映画がアカデミー作品賞ほかを受賞、一夜にして「アメリカン・ドリーム」の体現者となったのは余りにも有名なエピソードである(この辺りのエピソードは町山智浩著「<映画の見方>がわかる本(洋泉社刊)」に詳しい)。以後、計5本の作品が作られたのだが、前作「5」はスタローン自身も「間違えた」と語ったほど低調なもので自身もなんとかしたかったらしい(苦笑)。今作は94年11月に45歳でタイトルを奪還したジョージ・フォアマンをヒントにして製作された。

 
 今回の「ファイナル」のテーマはズバリ「再チャレンジ」!「1」でうだつの上がらないちんぴらボクサーのロッキーはチャンピオン・アポロとの試合を「最後まで立っていられたら俺はクズじゃない」事を証明する場と位置づけてリングに上がる。死闘のすえ判定で敗れたものの、彼は自身の存在価値の証明とエイドリアンの愛を獲得する事が出来た。
 今作では「まだくすぶって消えない熱い想いの解消」が復帰の理由となるわけだが、同時に自分を疎ましく思い離れてゆく息子(=父が有名人のため、何処にいっても自分の影が薄いのが不満)に「生きるとはどういう事か」を身を持って教える意味を含んでいる。どこかの総理が安易に口走る「再チャレンジ」とは重みが違うのだ(笑)。それがまた俺らを燃えさせるわけよ!


 映画はこれまでにも増して過去の名場面をちょこちょこ映像的にリフレインしつつ、ファンなら思わずニヤリとしてしまうオマージュが満載!「1」同様、ペットに亀や犬は飼うし、勿論「定番の特訓」では生卵一気飲み(過去、これを真似したボンクラ学生がどれだけいたことか:爆笑)!あの超メジャー音楽に乗せて階段をダッシュで駆け上がったあとガッツポーズをとるのは勿論、フィラデルフィア美術館の大広場!これで燃えない人はこの映画、観ない方がいいだろう(笑)。
 勿論、クライマックスを飾る試合はど迫力!1日4時間のトレーニングを積んだスタローンの肉体は見事にシェイプアップ(このあと「ランボー4」もあるし)!で本職のボクサーとマジで殴りあったというのだから「凄い」の一言。最強の60歳だ!試合の編集処理も今風でカッコイイし^^


 <試合の結末>はあえて書きませんがー最高の形でロッキーは幕を下ろした、と思う。「世間の笑い者になるから試合は止めてくれ!」と怒鳴る息子に還暦のロッキー(=スタローン)は、こう語りかける。「人生ほど重いパンチはない。大切な事は、どんなに打ちのめされてもこらえて前に進む事だ。」
 アメリカが「少子高齢化」してるかどうか知らないけど、日本の団塊の世代にグッときそうな台詞と物語でもある。もしかすると「ロッキー・ザ・ファイナル」という作品は、欧米よりもいまの日本にジャスト・フィットしている映画なのかもしれない(今回はえらく沢山書いてしまった・・・!)。