其の173:日常に潜む狂気「ブルー・ベルベット」

 今年・2007年は・・・早々と猟奇殺人、銃による大量殺人と考えさせられる恐ろしい事件が続発している。現代は「死と隣り合わせ」の時代なのかもしれない。「世界で唯一わけわからない映画を撮っても許される映画監督」デビット・リンチの「ブルー・ベルベット」もそんな作品だ。


 物語の舞台はーいかにも平和そうで典型的な田舎町。父の入院をきっかけに故郷に戻ってきた大学生のジェフリー(カイル・マクラクラン)は見舞いの帰り道、ちぎれた人間の耳を発見!警察に届ける。刑事の娘サンディー(ローラ・ダーン)から、どうやらその事件には近所に住むクラブ歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)が関与しているらしい旨を告げられる。そこで事件を解明すべくジェフリーは害虫駆除の業者を装って彼女のアパートに侵入、部屋の鍵をゲットする。深夜、彼女の部屋に忍び込んだジェフリーはドロシーとチンピラ然(でジャンキー)としたフランク(デニス・ホッパー怪演!)との異常な関係を目撃する・・・!


 自主映画「イレイザーヘッド」でその才能を見出され、初の商業映画「エレファント・マン」をヒットさせたものの超大作「デューン砂の惑星」を大コケさせたリンチが心機一転、かねてからの構想をもとに監督したのが「ブルー・ベルベット」。この作品で彼は本来の資質を開花させた。その独特の色彩設定や<平凡な街に潜む狂気>というモチーフは、のちの作品(「ツイン・ピークス」、「マルホランド・ドライブ」)のルーツともいえよう。
 粗筋に書いた通り、カイル・マクラクラン(リンチの前作「デューン」でデビュー。一時期、リンチの分身を演じていた。大林宣彦作品における尾美としのりのような感じ)が「土曜ワイド劇場」よろしく<にわか探偵>となって謎を解く「ミステリーの体裁」をとってはいるが、こいつも暴力やSMの世界に足を踏み入れてしまう(よせばいいのに)。「ちぎれた耳」が発端となる話を考えられるのはー世界広しと言えどもリンチぐらいのものだろう(笑)。


 タイトルの「ブルー・ベルベット」はボビー・ビントンによる1963年のヒット・バラード。気だるい曲調に甘い歌声がよくマッチしている。妖しい薄幸の美女ドロシー(勿論、彼女が着ているドレスは青いベルベット生地だ)が登場する度にこの曲が流れる。要は「彼女のテーマ曲」!「ふぞろいの林檎たち」で高橋かおりが出てくるとサザンの「栞のテーマ」が流れてくるのと一緒(笑)。
で、この彼女(=マゾ)にマクラクランはローラ・ダーンの事が好きでありながら、翻弄されていくわけです。まぁ、若いから仕方ないか(苦笑)。確か、この頃リンチはイザベラ・ロッセリーニと交際していたので(記憶違いならゴメンね)彼女の事をビューティー&ミステリアスに撮ってます。


 物語の冒頭、美しい青々とした芝生がアップになるとーその下にはおぞましい昆虫が大挙して蠢いている!物語は人間もこれと同じだと言わんばかりに展開。どんな人間にもそれぞれ人に言えぬ秘密や性癖があり、それを<表面上>は繕って日々の生活を営んでいるのだ。「見た目は理路整然として清潔そうに見える社会でも一皮向けば、人間のおぞましい欲望や怨念がうずまいている恐ろしい世界だ」とリンチは考えているに違いない(もっとも彼も相当アブない人だと思うが)。
 「マゾ」の対となる「サディズム」の語源となったのは18世紀のフランス人作家マルキ・ド・サドだが(ちなみに「マゾ」は作家のマゾッホから)彼はその著作(「悪徳の栄え」、「ソドムの1200日」)で人間の<暗黒面、醜悪さ>を徹底的にあぶり出した。もしかするとデビッド・リンチはある意味、サドの後継者と言えるのかもしれない。


 筆者は時々満員電車に乗ると「この乗客ひとりひとりは何を考えているのだろうか?」と想像してしまうし、団地などの集合住宅を見ると「それぞれの部屋でどんな日常が送られているのだろう?」と思うとほほえましく思う反面、怖くなる事さえある。人間というものは・・・善くも悪くも本当に奥が深いと実感する。