其の135:恐るべしイーストウッド「硫黄島からの手紙」

 第2次大戦下の「硫黄島の激戦」を日米双方の視点から描く<硫黄島2部作>の後半「硫黄島からの手紙」。今作は<日本サイド>のお話である。プロデューサーはスティーブン・スピルバーグ、監督はクリント・イーストウッドという超強力布陣!だが・・・出演俳優の大半は日本人、そして本編のそのほとんどが「日本語」によるやりとり!「果たして、イーストウッド御大でも大丈夫なのだろうか(またヘンな日本人描写になるんじゃないか)?」と一抹の懸念もあったのだがー結果は全くの杞憂に終わった(喜)!!


 戦況が著しく悪化した1944年6月・硫黄島(ちなみに東京都)。そこに新たな指揮官が赴任してくる。アメリカに留学の経験もある親米派栗林忠道中将(渡辺謙)その人である。彼に与えられた任務は「少しでも米軍による本土への攻撃を遅らせる事」。そこで彼はそれまでの戦略を変更、島内に地下道を掘り<完全要塞化>するアイデアを打ち出す。反発する士官たち。だが、人柄が良く、決して威張らない栗林を大勢の兵隊たちは支持する。召集された元パン屋の西郷(「嵐」二宮和也、好演!)もそのひとり。彼は埼玉に住む妻子に向けてせっせと手紙を書いていた。決して届く事がない事を分かっていながら・・・。
 翌45年2月、アメリカ軍が遂に上陸。兵士たちに出された命令は「決して玉砕などせず、1人当たり10人の敵を殺す事」。5日間で陥落するとアメリカ軍が踏んだ硫黄島。日本軍の抵抗が幕を開けた・・・。


 後年、米・海兵隊の歴戦の強者さえ「地獄の中の地獄」と表現した「硫黄島の戦い」。前作「父親たちの星条旗」は3つの時間軸(現在・戦闘中・戦闘後)が交差する構成が取られていたが、本作も同様のスタイルはとっているものの(現在・戦闘時・過去の回想)、その大半が「戦闘時」にあてられ非常に分かりやすいスタイル。陸軍と海軍が同居し(=仲が悪い)決して栗林の下、最後の最後まで決して一枚岩でなかった<小笠原兵団>の状況が克明に描かれる。

 齢70を越えて、この作品を作ったイーストウッドは・・・本当に凄い!!何より驚かされるのがイーストウッドが外国人でありながら<日本軍>の描写がかなり的確な事である。<小笠原兵団>はいわば「寄せ集めの集団」であり、兵隊たちがいわば職業軍人でなかった事は西郷をメインによく表現されているし、指揮する栗林中将、そして彼を慕うバロン西中佐(演じるは伊原剛志)は共に実在の人物。本編にも描かれているが両者とも<親米派>であり、栗林は最後までアメリカとの戦争を反対していたという(=よって、勝ち目のない硫黄島にとばされた、という説もある)。西に至っては1932年の「ロサンゼルス・オリンピック」馬術競技金メダリストとして当時のアメリカでの人気は絶大だった。映画にはないが、戦闘中、米軍が敵の中に西がいる事を知って、わざわざ投降を呼びかけたーというエピソードもある(映画を観る前に少々2人の予備知識があれば、さらに面白さは増すだろう)。こうした細かな事実が映画のそこかしこに盛り込まれている。相当な時間をリサーチにあてたことは想像に難くない。


 日本人監督なら絶対<泣かせ>に走るところをイーストウッドは<冷静>な視点で演出。前作同様、安易なウエルメイドに走らず人類の愚行を暴く。捕虜を惨殺する日本兵(ここは前作の「あの人」!)、投降した日本兵を殺すアメリカ兵・・・。
戦争に「正義」などない。そして戦うアメリカ人も日本人も故郷に残してきた「家族」を思う同じ人間・・・。傑出した人物であった栗林や西が戦後も生きていたらーと思うと残念でならない。いまのこの日本の姿を見たらー彼らは何と思うだろう。


 <個人的>には残念な部分も若干はある。「憲兵」と「特高警察」がごっちゃになっているし(苦笑)、前作にもあった「残酷描写」がかなり薄まった(=そうでないと戦争を知らない若者に本当の痛みが伝わらない)。ラストの「現代」のシーンにもう少々尺を当てても良かったとかーしかし、そんな事はあくまで<瑣末>な部分。イーストウッドのメッセージは十分に伝わった。前作「父親たち〜」とこの「硫黄島〜」はコインの表と裏。1セットである。2作1セットで、この作品を大勢の人たちに観てほしい、と思う。

 「私は、誰もが人生を平和に送れることを願うだけだ。」 クリント・イーストウッド