其の88:超美的陶酔華麗映像詩「ざくろの色」

 筆者は正直、俗にいう「芸術映画」や「前衛映画(アヴァンギャルドともいふ)」は余り好みではない。映画はどんな形式であっても面白ければいいのだが、監督(あるいは映像作家)の<独りよがり>を延々観せられても堪らない。わけわからんもの作って「これが芸術だ!」と吠えられてもねぇ(「映画」はわざわざ時間を合わせて映画館に行き、お金を払って観るものだから代価に見合うものを見せて貰いたい)。
 ・・・だが、このアルメニア出身のセルゲイ・パラジャーノフ監督の「ざくろの色」は<芸術映画>でありながら実に感心させられた。「絵画」や「彫刻」、「映像」、「TV」、「小説」、「漫画」なんでもいいが<アート系>あるいは<クリエイター>の道を模索、あるいは生業にしている方には是非観て貰いたい1作である。

 18世紀のアルメニアの詩人サヤト・ノヴァの生涯をベースに、奔放なイマジネーション溢れる全8章の<映像詩(あまり台詞もないし、こうしか書きようがない・・・)>が展開されていく。奇抜な衣装とメイクのキャラクター、象徴的なオブジェ、くすんでいながら鮮烈な色彩に彩られた美術。印象的な音楽ー。摩訶不思議な映像の数々(左右対称−「シンメトリー」を多用)が僅か73分という上映時間の中に紡ぎだされてゆく。リアリティを追求するのではなく、全てを自由に発想して構築した世界観は見事だ。


 天才的な作品を創り上げたパラジャーノフだが、その生涯は決して幸福ではなかった。1924年、アルメニア生まれ。「全ソ国立映画大学・監督科」を卒業。助監督経験ののち64年に「火の馬」で監督デビュー、高く評価される。ところが映画に出資したウクライナ当局はこの作品を嫌い、以後彼の出す企画をことごとく拒否(この「ざくろの色」はそんな中、71年にアルメニアで制作された)。更には事実無根の罪状で74年に投獄されてしまうのだから、もう映画監督だか政治犯だかわからない不当な扱い(苦笑)。

 これに対してイタリアのフェリーニロッセリーニヴィスコンティが、フランスからはかのゴダールトリュフォーらヨーロッパ中の巨匠たちが抗議運動を起こしたほど(おかげで77年にようやく釈放)。だが、その後も短期間ながら2回も投獄されるなどして結果、わずか4本の長編映画を残して1990年にこの世を去る(生まれた国と時代が悪かったとしかいいようがない)。パラジャーノフのプロフィールを知った上で、「ざくろの色」を観ると「もっと映画を創って欲しかった!」と思わずにはいられない。


 「ざくろの色」は自国の先人にオマージュを捧げた、いわば「音楽もついた動く絵画」。筋を追うのではなく<心>で観て、感じる1本である。世の中には、こういう映画もあるのだ!