<緊急番外編>大林宣彦監督が亡くなられた・・・。

 4月も中旬になりましたが・・・コロナ終息の見通しはまるで立たず。果たして今後どうなるのか・・・。なんか最近、同じことしか書いてない(苦笑)。

 

 そんな中、大林宣彦監督が亡くなられた。大林映画を全て観ている熱心なファンではなかったし、森田芳光監督や三池崇史監督同様<当たり外れのある監督>というイメージが筆者の中にはなくはないけれど、世代的に「尾道三部作」をリアルタイムで観ていたから・・・ジャンルは異なれど、志村けんさんに続いて、また大きな喪失感を感じている。訃報を聞いた日の夜、自宅の棚から「さびしんぼう」のDVDを取り出して観たり。

 拙文ながら、自分と大林映画についての思い出を思いつくまま書いてみようと思う。

 

 映画会社に入社せず助監督経験のない大林監督がCM界から商業映画デビューを果たした記念すべき作品が「HOUSE ハウス」(’77)。今にして思えば、あのチャールズ・ブロンソンによる「う~ん、マンダム~!」のキャッチコピーは日本中で大ウケ!人が顎に手をやると「マンダム~!」とツッこむギャグが流行した程(マジ)。筆者は小学生で、まだお小遣いがそんなにないから、これは劇場では観ていない。後のテレビ放送なりで観た記憶がうっすらとあり、後年レンタルビデオの普及と共に再見した。「家が人を食べる」という設定で、CMで培ったテクニックを駆使して作られた今やカルト化している快作。筆者が後にソフトを購入した事は書くまでもない(笑)。

 続く「瞳の中の訪問者」やコメディー「金田一耕助の冒険」もテレビで観た。昭和の小学生は皆、大してお小遣い貰ってないから、そんなに映画代に回せない(苦笑)。

 中学生になり、薬師丸ひろ子のファンだった筆者は「ねらわれた学園」(’81)は友人と地元にあった三番館で観た。中学生になったものの、お小遣いの大幅アップはないから頻繁にロードショーは観に行けないんで。「守ってあげたい」が使われるオープニングは良かったものの・・・峰岸徹の腹に巨大な目の玉が出てきた下りは・・・中学生ながら友人たちと失笑した。

 翌1982年。後に「尾道三部作」の一作目にカウントされる「転校生」公開。男女入れ替わりものだけど、小林聡美は本当に巧かった^^!テレビ放送の時など、映画が好きだった今は亡き父が彼女を誉めていた事を思い出す。

 対する尾美としのりは、今作を機に大林監督の分身的存在として常連俳優となる訳だが、彼のデビューは市川崑監督の実写版「火の鳥」で、筆者はリアルタイムで劇場で観ていたから、偶然にも筆者は尾美さんのデビューと「大林組」入りの作品を目撃した事となる。全ては今、考えてみれば・・・だけど(笑)。

 続いて原田知世の映画デビュー作にして「尾道三部作」の2本目「時をかける少女」(原作は筒井康隆大先生)を薬師丸ひろ子松田優作主演の「探偵物語」との同時上映で観賞。どちらの作品も面白くて大いに満足したものだ。当時、評論家筋から原田知世の演技が「学芸会レベル」等と書かれていたけど・・・それはご愛嬌という事で🎵

 先にも書いたように学生時代というのは時間はあっても金はないもので・・・当時は洋画の方が圧倒的に質・量ともに邦画を遥かに上回っていたので、筆者も少ないお小遣いの中に占める「映画代」の多くは洋画を観る方にあてざるをえない状況だった。そういった意味ではこの頃公開された「廃市」や「少年ケニヤ」は筆者のチョイスからは外れていた。

 原田知世の「天国にいちばん近い島」を経て、「尾道三部作」のラストにして大傑作「さびしんぼう」(’85)公開。これは映画館で観て感動したわ・・・。数ある大林映画の中でも屈指の人気作だ。今作を気に入った黒澤明監督が黒澤組スタッフにも見るように伝えたという素敵なエピソードもある^^。

 その後、個人的に観てるのは「姉妹坂」、「彼のオートバイ、彼女の島」、そして「漂流教室」・・・。これは原作漫画の大ファンだったので、超ガッカリして劇場を後にした苦い記憶あり。けれど、「異人たちとの夏」(’88)を学校帰りに映画館で観た時は、風間杜夫扮する主人公が両親と別れるシーンで・・・泣いた。「異人たちとの夏」は「さびしんぼう」と共に大林映画の2大傑作だと個人的には思っている。

 赤川次郎原作「ふたり」、「青春デンデケデケデケ」ときて「水の旅人ー侍KIDS-」(’93)を観たのだが・・・この時すでに社会人となり映像業界に身を置いていた筆者だったが・・・余りに早いカット割りに閉口してしまった。やりたい事は分かるけれども、この内容にこの編集はあわないのではないか・・・と(少々、<プロ目線>で観ていたような気もする)。この「水の旅人」がきっかけで、商業デビューからちょいちょい観ていた大林映画から筆者は距離が出来てしまったように思う。

 よって、その後の「女ざかり」、「あした」ほかの作品は・・・スルー。最後にリアルタイムで観た作品は宮部みゆき原作の「理由」(’04)だ。大量の出演者が出てくるミステリー映画だが、初期作品よりカット数が多くなった大林作品にこの作品はマッチしていて素直に面白かった^^。

 この後、大林さんは「転校生」をセルフリメイクしたり、歌謡曲に題材をとった作品を撮ったのち、病気が発覚してからも「反戦」をテーマにした力作、意欲作を連発される(生憎、筆者未見)。そして、コロナによって公開が延期された3年ぶりの新作「海辺の映画館ーキネマの玉出箱」が遺作となってしまった・・・。筆者的には某作品の完成披露試写会の取材で直接お姿を目にしたのが最期となった。

 

 それまでにないルートで映画監督となり「青春映画」、「アイドル映画」を撮りつつも実験精神を忘れず名匠として確固たる地位を築いてなお、己の映画を撮り続け、生涯現役を全うした大林宣彦監督。正直・・・凄いとしか言いようがないし、映像作家として誰もがうらやむ人生を歩んでこられたと思う。大林監督も筆者の人生に間違いなく影響を与えたおひとりだ。

 筆者は大林作品を半数近く見逃していると思うので(今は時節柄、休みの日は自宅に籠っているし)、観ていない作品を鑑賞しつつ、「海辺の映画館ーキネマの玉出箱」が公開の際には久しぶりに映画館で大林映画を観賞しようと思っている。

 

 大林監督、長い間、本当にお疲れ様でした! そして長い間、我々を愉しませて頂いて有難う御座いました。心よりご冥福をお祈り致します。