其の469:不定期更新「座頭市」シリーズ8

 最強のソード・アクションヒーローと言われる(←一部で)勝新太郎主演「座頭市」シリーズの8回目デス。


 大映末期に刑事もの「顔役」(’71)で映画監督デビューを果たした勝新。以前、脚本に参加したことはあるものの、翌72年、「座頭市 御用旅」出演の後、自ら座頭市を“監督”した。第24作「新座頭市物語 折れた杖」である。



 吊り橋の事故で亡くなった行きづりの老婆から彼女の娘に形見の三味線を届けるよう頼まれた市。銚子にある女郎屋「扇屋」にその娘・錦木(=太地喜和子)がいた。市は彼女を身請けする金を稼ぐため賭場へ向かう。賭場の貸元・鍵屋万五郎(=小池朝雄)は、港の実権を握るべく漁師たちを賭場へ誘い、金はおろか船をも巻き上げていた。そんな賭場へ市が現れ、大金を稼いだ。こうして錦木を身請けした市だったが、自分に指一本ふれようとしない市の心情が錦木には分らず彼を気嫌いする。一方、金をとられた万五郎は、子分たちに市を始末するよう命令を下す・・・。


 脚本にはこのシリーズの土台を作り上げた犬塚稔(久々!)、撮影は前作も担当した勝の盟友・森田富士郎。第17作「座頭市血煙り街道」でもワルだった小池朝雄、ヒロインの太地喜和子のほか、吉沢京子春川ますみ大滝秀治藤岡重慶中村嘉葎雄ほか豪華キャスト。演技巧者な人たちを迎え、勝新監督は燃えに燃えた(と筆者、勝手に推測)^^

 筆者は残念ながら未見なのだが・・・初監督作「顔役」は、当時の作劇においては普通はやらない実験的な撮り方をいろいろやっているらしい(一部では北野武初監督作「その男、凶暴につき」の類似性を指摘する人もいる)。そんなアヴァンギャルドな作風を勝新は今作に持ち込んだ(→一説によれば勅使河原宏監督の影響とも)。たけし同様、現場での良く言えば“閃き”、悪く言えば“思いつき”を駆使して(笑)。

 冒頭からして黒字に白のメインタイトルがボーンと出て(音楽なし)早々に映画スタート。“市の主観”という映像では画面がピンボケしてるし(リアルに言えば画面は真っ暗になるのだろうけど)、“老婆が吊り橋で事故る回想シーン”を劇中、2度3度リフレインするのも・・・これまでのシリーズには観られなかった演出だ。

 中でも太地に迫られ、市が彼女とあばら家でエロいことするシーンではその様子は見せず、音声のみ(女の喘ぎ声や雨風の音)で表現!そこに(いつものごとく)ヤクザ達が現れ、そのまんま市が殺陣を行うのは一見の価値あり!

 <クライマックス>、両手を●●された市が逆襲に転じるのは・・・どうみても「続 荒野の用心棒(ジャンゴ)」からの引用。ぶっちゃけ座頭市は“超人”ですから、これぐらいは軽いね!?

 思いつきアイデアが飛躍し過ぎてて、観客が戸惑うことを懸念した森田カメラマンとは少々揉めつつも本作は完成(但し、脚本に忠実でない出来に犬塚は激怒した)。前作同様、兄の若山富三郎主演作「子連れ狼 死に風に向う乳母車」と同時上映され、この年の邦画興行成績ベスト10に入るヒットを飛ばす。余談だが、この’72年9月には「座頭市」3度目の舞台上演を行っている。





 年があけて1973年ー。「座頭市」シリーズ+「子連れ狼」シリーズのヒットで東宝との契約を更改。

 だが観客を熱狂させているのは、もはや「座頭市」ではなく「子連れ狼」であることに勝は気付いていたという。俳優として「子連れ狼」で新境地を切り開いた兄と異なり、従来の3シリーズから脱却できない自分。新たな座頭市ワールドを創るべく監督してみたものの、作品の評価は今ひとつ(→数々の試みは、当時の観客には早すぎたと思う。平成の今でなら十分通用するのだが)。勝新の落胆ぶりは容易に想像できよう。そうした忸怩たる思いから次作を“シリーズ最終作”と決めたのではなかろうか。

 その証拠にシリーズ第25作にして(一旦)完結編となる「新座頭市物語 笠間の血祭り」では、市を故郷の笠間市茨城県)に還らせている(前作での手の怪我がすっかり完治しているのは、プログラム・ピクチャーならではのお約束^^)。


 市は20数年ぶりに生れ故郷・笠間宿へ戻った。その同じ日、市の幼馴染で江戸に出て成功した米問屋・常陸屋新兵衛(=岡田英次)も帰郷する。彼が凶作であえぐ農民たちを救うべく、多額の現金を持って来たため名主総代の庄兵衛(=「七人の侍」の土屋嘉男)をはじめ村をあげて彼を歓迎する。その頃、市は陶工の作兵衛(=これまた「七人の侍」の志村喬)と再会。作兵衛と暮らし、市とは“乳兄弟”にあたるおみよ(=十朱幸代)の案内で市が育ててもらったおしげ婆さんの家を訪れるが、彼女は5年前に亡くなっており、家は荒れ放題になっていた。一方、新兵衛は士地の親分・岩五郎(=またまた遠藤辰雄)、代官・林田権右衛門(=これもまたまた佐藤慶)と組んで、町の宝とされている石切り場で御影石の強行採掘とごまかして貯めこんだ年貢米を江戸へ運んで大儲けする企みをすすめていた。彼らの策略を知ったものの、幼馴染を斬れないと思った市は笠間を出ようと決めたが・・・。


 監督にシリーズ6度目の登板となる安田公義、音楽はお久しブリーフ(BY岡本夏生)のマエストロ・伊福部昭を迎え奇をてらわない作風に“回帰”。全編<闇(→それは故郷&幼馴染がダークサイドに堕ちた市の心情表現)>を強調した映像作りが行われている(腕チョンパに足チョンパもあり)。“フーテン”を思わせる若者たち(=岸部シロー、横山リエほか)も出てくるのは・・・さすが70年代だなぁ(笑)。

 これはシリーズ全作通して言えることだが、主人公・市が“ヤクザ”だけに、出てくるワル連中(ヤクザ、悪代官)は皆アウトレイジ(極悪非道)だし、市に絡む善人たちは大半が殺される・・・スカッとする作品は1本もないんだけど(苦笑)、ふるさとにおいてもこれだからねぇ・・・重い、重い。ラストの米蔵の中でのファイナル・バトル(刀で穴空いた米俵のあちこちから米粒がビュービュー落ちてくる)も・・・ヘビーっす。まるで勝新の心境がまんま反映されたような作品となっている。



 こうして1962年から続いた映画「座頭市」シリーズは1973年、遂に幕を下ろす。この年、若山が勝プロダクションを辞め(→「子連れ狼」のテレビドラマ化権を若山に相談なく売ったことが原因で、勝と若山は兄弟喧嘩)同プロ単独による二本立て興行体制が終了。観客動員数が落ち込んだことで、翌74年、勝プロは東宝と提携解消&映画製作から撤退した・・・。


 
 フジテレビからの依頼(当時としては破格の製作費でオーダーがきた)を受けて同74年、テレビドラマとして「座頭市物語」放送(全26話)。
 ち・な・み・に!いまの若い人は知らんと思うが・・・昔のドラマは約半年・26話前後放送するのが普通だったのよ♪それを考えると今のドラマの放送話数は・・・短いね〜!


 好評を受けて「新・座頭市」として第1シリーズ(’76年:全29話)、第2シリーズ(’78年:全19話)、第3シリーズ(’79年:全26話)が放送された。時には勝新が演出も兼任、彼の思いつき&製作費のどんぶり勘定で局への納品はいつもギリギリ。スタッフは死ぬ程大変だったそうだが(苦笑)・・・本来の“劇映画”として「座頭市」が復活することはなかった。


 ところが・・・!!



      <「座頭市」シリーズ、次回最終回!・・・君は刻(とき)の涙をみる>