其の239:カルトなサイコ・スリラー「狩人の夜」

 ビリー・ワイルダーの「情婦」やスタンリー・キューブリックの「スパルタカス」に出演した名優チャールズ・ロートンが唯一監督した作品「狩人の夜」(’55)は多々ある「カルト映画」の中でも「呪われた作品」と言われる。興行的に成功しなかったのでスタッフがバタバタ業界から消えた為なのだが、次々と俳優陣が怪死した「ポルターガイスト」シリーズよりはいいと思う(苦笑)。公開してすぐにカルトの殿堂入りを果たした作品だが・・・いま現在の視点で見直すとなかなか味わい深い作品!子供が主人公ということもあり「黒い童話」と呼んでもいいかもしれない^^かのフランソワ・トリュフォーも誉めてまっせ!


 大恐慌時代のアメリカの田舎町。少年ジョン(ビリー・チェイピン)とその妹パール(サリー・ジェーン・ブルース)の父ベン(ピーター・グレイヴス)は、生活苦から銀行強盗を働き2人を殺害して逃亡を図る。だが警察に逮捕される直前、ジョンに盗んだ金の隠し場所を誰にも明かさぬよう伝えたまま死刑となる。一家の大黒柱を失った家庭に現れたのが伝道師のハリー(ロバート・ミッチャム)。言葉巧みに接近してきた彼は、ジョンの母ウィラ(「ロリータ」でも幸薄いシェリー・ウィンタース)と再婚してしまう。だが、ハリーの正体はこれまでに幾人もの未亡人を殺害して逃亡中のシリアル・キラー!!微罪で逮捕された刑務所の中で、ベンから盗んだ金が家のどこかに隠してある事を聞いていたのである。幼い兄妹に魔の手が忍び寄る・・・(怖)!!


 なによりもこの作品で特筆すべきは「眼下の敵」や「大いなる眠り」で知られる<眠たそうな目を持つ男>ロバート・ミッチャム演じる殺人鬼ハリー。右手の指に「LOVE(愛)」、左手の指に「HATE(憎悪)」の入れ墨を彫り、すぐ飛び出しナイフをいじくる<死の牧師>!「身体に入れ墨してる悪人」で思い出されるのはロバート・デ・ニーロが「ケープ・フィアー」で演じた復讐の鬼だが、そのオリジナルはミッチャムが演じた「恐怖の岬」(’62)である。ミッチャムが<サイコ・スリラー界(←あるんか?)>に残した功績は大きい(笑)。評論家みたいな事を書くなら、彼は再婚してもウィンタースとの初夜では肉欲の罪を説いてヤラないくせに殺すのは女性ばかり!「飛び出しナイフ」が「勃起する男性自身」の象徴なら、彼は不能で、そのコンプレックスもあって女殺しに執着していると推察できよう(当時はそんな部分はハッキリ表現しちゃいけなかったしね)。そんな男と終盤、対決するのが「映画の父」グリフィス映画のヒロイン、リリアン・ギッシュ!!ここは見逃せません^^


 原作は1930年代にアメリカ南部で実際に起こった事件をもとにしたディヴィス・グラブの同名小説。この本を読んで気に入ったプロデューサーが旧知のチャールズ・ロートンに声をかけた事で本作の制作がスタートした。なんでもこの頃のロートンは気に入る脚本もなく、俳優業から監督業に色気を見せていたそうな。そこでロートンは作品にハクをつける為、率先してスタッフ集め&キャスティング!それが全ての失敗の始まりとは誰も予想だにしていなかっただろう(笑)。


 脚本をピューリッツアー受賞作家であり、映画「アフリカの女王」のシナリオも手掛けたジェイムズ・エイジーに依頼。だが、その頃エイジーは完全にアル中!高額ギャラにつられて、酒を飲みながら期限までに書き上げた台本は何と350ページ(笑:電話帳か)。結果、ロートンが彼のシナリオをもとに一から「撮影台本」を書くはめになった。エイジーの念頭にあったのはチャップリンの「殺人狂時代」だったと言われるが(=「未亡人殺し」が共通)それにしても・・・長過ぎるだろう(苦笑)。ここで、他の脚本家に修正させていたなら・・・もしかするとカルト化しなかったかもしれない。


 何故ならば映画が失敗した原因のひとつはロートンが手直しした脚本の不味さが挙げられる。「少年が妹を守りながら悪と対峙する」という、童話テイストの物語ながら視点が一貫しないのだ。多々、少年から色んな人へ視点がズレまくる(残念)。
 それに加え、ロートンは「ドイツ表現主義」ないしヒッチコックばりの影の使い方(ロートンはヒッチ作品にも2本出てる)や移動撮影、絵画を思わせる構図(ロートンは絵画マニアでもあった)と、自身の趣味や俳優業で培った技法を全てぶち込んだ。それがまた時にスリラーに見合わない唐突感やシュールさを与えている(=その分、いま見ると面白いのだけど)。分かりやすいハリウッド全盛期の映画を見慣れた観客には余計ついてゆけなかった事だろう。野球では「名選手、名監督にあらず」と言われるが、映画界においても「名俳優、名監督にあらず」なのである。何でも撮りゃいいんってもんじゃない(笑)。


 公開された映画は惨敗。その為、ロートンは二度と監督に手を出さなくなり(次回作を考えていたものの取りやめた)、ミッチャムほか出演陣もこの作品については口をつぐむようになった。プロデューサーはハリウッドで「終わった人物」となり、シナリオ書いたエイジーはアル中で1年後に死去する(これは自業自得)。で与えられた称号が「呪われた映画」!でも今ではこうして残ったわけだから、他の山ほどある凡作、駄作よりは遥かにマシだと思うのは・・・筆者だけかしら?
 「映画」に夢を見る人は多いが・・・失敗すると、多大なるリスクを負う事にもなるわけ。やっぱり映画は作る側より、観る側の方が気楽でいいかもね(笑)。