其の515:恐るべき心理戦「眼には眼を」

 500回以上書いているこのブログにも取り上げていない映画監督達はまだまだいる(映画の世界はホントに深いのぅ・・・)。その一人がフランス人監督アンドレ・カイヤット(1909〜1989)。メジャーな人ながら近年は余り彼の名前を聞かなくなったなぁ(残念。作風が理屈っぽいせいか?)。“弁護士”から“映画監督”に転身したという世界でも数少ない<超変り種監督>だが、普通の映画紹介本で彼を取り上げると決まって「裁きは終わりぬ」・・・と書いてあるのが“定番”なんだけど、このブログでは「眼には眼を」(’57:仏・伊)を紹介する。のほほんと観ていられるのは頭の10分くらいまで。後は画面から目が離せなくなること必至の一作!カラー作品だからモノクロ苦手な若い人でも大丈夫^^


 中東・シリア。病院に勤めるフランス人医師バルテル(=「眼下の敵」のドイツ人俳優:クルト・ユルゲンス)は夜、仕事を終えて自宅にいた際「妻を診てほしい」と訪れた夫婦の依頼を断り、病院に向かうようアドバイスした。翌日、バルテルが病院に来ると宿直の若い医師から昨夜訪れた女性が亡くなった事を告げられる。彼の自宅を出たあと車が故障し、夫が妻を抱えて病院に来たのは数時間後。更にその医師が誤診した為、手遅れになったのだ。その日からバルテルは何者かから無言電話やストーカーまがいの尾行を受けるようになる。どうやら夫・ボルタク(=フォルコ・ルリ)の仕業らしい・・・。彼は自分の立場を説明するためボルタクを探し始めると、今度はボルタクが逃げ回るように。ボルタクがアラビア人の集落・ラヤへ向ったことを聞いたバルテルはクルマで後を追う。ようやくボルタクと会うことが出来たバルテル。だが、このあと想定もしない事態が彼を襲うー!!


 アンドレくん(注:「ベルばら」や「監獄学園」のキャラでも、プロレスラーでもない)の経歴をもう少々フォローします。1909年、フランスはオード県カルカッソンヌにて誕生。先述したように1938年まで“弁護士”として働き、1942年「貴婦人たちお幸せに」で映画監督デビュー。以後、弁護士だった経験を生かし犯罪・正義・道徳的責任等を追及した社会派監督へ。1950年「裁きは終りぬ」でヴェネツィア国際映画祭ベルリン国際映画祭でグランプリを受賞。その後発表した「われわれはみな殺人者である」(’52)、「洪水の前」(’54)とあわせて「法廷三部作」と呼ばれる。1960年「ラインの仮橋」で2度目のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。金獅子賞を2度受賞した最初の監督でもある。1989年、パリにて死去。享年80。


 シリア出身の作家ヴァエ・カッチャの原作をアンドレくんが作者と共同で脚色。タイトルはご想像の通り「眼には眼を、歯には歯を。」で有名なハンムラビ法典から取られたもの。勿論、映画は主人公が相手に執拗に狙われる“復讐劇”だ。後年作られたスピルバーグのTV映画「激突!」のトラックや「ヒッチャー」のルトガー・ハウアーは見た目からしてメチャ恐ろしかったがー「眼には眼を」のボルタクは、むっちり系のヒゲ親父。まともに喧嘩したら、どう考えてもクルト・ユルゲンスの方が勝ちそうだけど(笑)そんなぽっちゃり君が医者をどのようにしてシバくのか!?

 ちょっとだけ中盤以降の展開を書くと→主人公がちょっとした訳で自らラヤから遠い砂漠の村へ行くわけ。そこに何故かボルタクが現れて、2人のジリジリとする心理戦が砂漠を舞台に繰り広げられていく・・・う〜ん、これ以上は書きたいけど止めておく!!我が身に置き換えてみても恐ろしい状況となって、もう目が離せない!!延々砂漠の映像が観られるので<秘境マニア>、<第三世界マニア>の方は尚良いかも^^。筆者は・・・例え仕事でもあんな暑くて不便な所へ何日もロケで行きたくないが(苦笑)。

 
 主人公バルテルから見たら逆恨み以外の何物でもないが・・・ボルタクの気持ちも分からなくもない。法律では割り切れない、人間という動物の難しさ・・・が作品の根底にある。アンドレ・カイヤットは「人が人を裁けるのか!?」を終生のテーマにしたが、今作のラストも凄いゾ!!近年の「ラストはハッピー♪」でルンルンに終わる娯楽作品に慣れた若人たちに是非観て欲しい。昔はこんな凄い映画があったのだ。



 <どうでもいい追記>先日試写でオードリー・ヘプバーン幻のTV映画「マイヤーリング」を鑑賞。当時のTV作品のせいか低予算&演出も陳腐で大した出来ではないのだが、当時の旦那メル・ファーラーと共演したオードリーは変わらず可憐❤筆者のように彼女のファンなら貴重な作品・・・という位置付けで観て損はないだろう。但し、内容は期待しないように。あくまで“貴重な資料”として鑑賞のこと。