其の275:爆笑奇想天外人物伝「リストマニア」

 「映画界の異端児」と呼ばれる英国人監督ケン・ラッセルの名も最近はききませんなぁ。1927年生まれだから・・・仕方ないか(笑)。欧州には奇妙な映画を作る人は多いが(フェリーニパゾリーニとか)この人の映画ももの凄い!中でも「リストマニア」(’75)は彼の脳内妄想が爆発した(=脚本も自身)伝記映画風ミュージカル(?)の怪作。

 映画は大ピアニストにして交響詩前奏曲」や「ハンガリー狂詩曲」で知られるロマン派の作曲家フランツ・リスト(1811〜86:ハンガリー)の活躍と冒険(?)を描く(あまり筋らしい筋がないのよ)。物語の終盤には(なぜか)悪の組織の長と化した、楽劇「ワルキューレ」の作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813〜83:独)と戦う(なんでやねん)!真面目な音大生が観たら・・・怒るかもしれない(苦笑)。

 ケン・ラッセル(通称「変態ケンちゃん」)は若い時、いろんなことをやりつつもモノにならず(苦笑)写真学校時代に短編映画を製作、それが評価されてBBCに入局。数多くのドキュメンタリー作品を手掛ける。1963年、「フレンチ・ドレッシング」で劇場用映画を初監督。69年、「恋する女たち」(斉藤由貴じゃないよ)で注目を集め、以降「恋人たちの曲・悲愴」(’70)、大問題作「肉体の悪魔」(’71←今度、取り上げます)、「ボーイフレンド」(’71)、ザ・フーのアルバムの映画化「Tommy・トミー」(’75)ほかを発表。96年に「超能力者/ユリ・ゲラー」を発表後・・・大人しくしてるようだ(笑)。

 ケンちゃんは歴史や音楽家にいたく興味があるようで、BBC時代から作曲家を取り上げた作品を演出しているし、先に挙げた「恋人たちの曲・悲愴」ではチャイコフスキーをマザコンのゲイ(注:ホモは差別用語)として描き(こらこら:苦笑)、ヴィスコンティが「ベニスで死す」で取り上げたグスタフ・マーラーを主人公にした「マーラー」(’74)も史実と(よくいえば)奔放なイメージを駆使して描いてきた。その集大成がこの「リストマニア」だと思う(彼の最高傑作は「肉体の悪魔」だとは思うが)。

 今作ではリストの人物像を<19世紀のロックスター>として脚色。彼が派手な衣装を着てピアノを弾き始めると、婦女子がキャーキャー黄色い声を上げる(笑)。勿論、ロックスターとして彼を描いているので、今作のリストは超スケベ(=すぐ女と寝る)!これは<ロックスター→女性にモテる→当然、ヤリ●ン>という中学生男子レベルの安易な方程式にのっとっての表現だろう(笑)。実際、ピアニストとしてのリストは普通の人がオクターヴで弾く感覚で十度を弾いたというから、相当の腕の持ち主であったことは事実ではあるけど。

 今作はキャラクターの人物造形はもとより、大量の引用(パロディ)と幻想イメージに彩られているのが特徴だ。冒頭、間男のリストが旦那にバレた時には「ターザン」になるし、妻との回想シーンでは「黄金狂時代」のチャップリンを完コピ!敵対するワーグナー(=ラッセルはヒトラーワーグナーを敬愛していた史実から、ワーグナーナチスを投影して描く。「マーラー」ではワーグナーの愛人コジマがナチスになってる)はニーチェの超人思想を具現化するかのように「スーパーマン」の衣装を着てるわ(わかりやすい)、何故か屋敷で人造人間作ってる(爆笑)!
 また、全編に散りばめられているのが性器のオブジェ!チ●ポが柱になっている室内に尻のついた壁、女性器型のシートまで登場!更にはリストのアレが巨大化して、その上で女たちが踊り狂う(爆笑:この辺は既に発表されていたキューブリックの「時計じかけのオレンジ」の影響もありそう)!ただでさえフェリーニの映画のように筋らしきものがない「脚本」に、巨大チ●ポほかの「美術」発注・・・。スタッフは当初どう思ったのだろうか(笑)?

 クライマックスでは完全に「伝記映画」を逸脱!ワーグナーが更に凄い状態と化し、リストとハルマゲドン(=善と悪の最終戦争)の如き状態となる(これ以上はネタバレになるので自粛)!おそらく、このブログを読んでラストを予想できる人類は地球にいない(笑)。石井輝男の「恐怖奇形人間」同様、映画ファンなら「見ずには死ねない1本」だろう^^

 最後に諸作で様々な物議を醸してきた御大の<名言>を引用しよう。「私自身も含め、時代に先行しているアーティストというものは、死なない限り評価されないようだね」byケン・ラッセル