其の193:天才の実像と生涯「アマデウス」

 「天才」と言われる人たちは生前、不幸である場合が多い。画家ゴッホは生きている間に売れた絵は僅かに1枚だけだったし、作家・宮沢賢治も本が全く売れず不遇のまま一生を終えている。まさか死んだあとにここまで有名になるとはー絶対に思ってなかったに違いない!
 かの音楽家ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトもー少年時代は「天才少年」として欧州で名をはせたが、成人してから若くして亡くなるまで貧困にあえぎ続けたのは有名な話(享年35)。そのモーツァルトの死については諸説あるのだが(診断は「急性粟粒疹熱」)、同時代の宮廷音楽家アントニオ・サリエリによる「サリエリ暗殺説」を基に書かれた戯曲の映画化がこの「アマデウス」(’84)。現在はドラマやアニメにもなった漫画「のだめカンタービレ」のヒットでクラシックが人気だが、モーツァルトについて知らなくても十分に愉しめる面白い映画です^^


 19世紀初頭、オーストリア・ウィーンの街でひとりの老人が自殺未遂を起こし、一命はとりとめたものの精神病院に入れられた。そこで若き神父が彼の懺悔を聞くために病室を訪ねる。自殺未遂を起こしたのは、かつて宮廷音楽家として知られたサリエリ(F・マーリー・エイブラハム)。彼はかつて自分が天才音楽家モーツァルト(トム・ハルス)を殺したのだと神父に打ち明ける。彼の回想によって語られるモーツァルトの死の真相とは・・・。


 モーツァルトの才能を誰よりも的確に見抜いたため、自己の凡庸さを呪い、彼に嫉妬。やがて殺害を企てるようになるサリエリ・・・。「三国志」で呉の周瑜は、天才軍師・諸葛孔明の才能を評して「天はこの周瑜を生まれさせながら、何故孔明まで生まれさせたのだ」と叫んで亡くなったと伝えられているがーサリエリも全く同じ心境だったのではなかろうか。


 監督はアカデミー作「カッコーの巣の上で」で知られるミロス・フォアマン(今作で再びアカデミー作品賞、監督賞に輝いた)。ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」を基に、彼とふたりして脚本を執筆。フォアマンは旧チェコ・スロバキアの出身なのだが(68年の「プラハの春」に続く政変を機にアメリカへ亡命)この「アマデウス」の撮影にあたって、故国チェコプラハで全面的にロケを行うことになった(中世の建造物が多く残っていた為。なんとも皮肉である)。
 撮影はモーツァルトの妻コンスタンツェ役の某女優がクランクイン前日、大怪我をしてしまったため(現地の子供たちとサッカーしていてじん帯を切った)他のシーンを撮影しながら代役探しを行ったり、現場では常に「秘密警察」の人間が同行して監視されるなど大変だったそうだ。ただ、その分実際に現存するオペラ劇場で撮影された「フィガロの結婚」や「魔笛」のシーンは非常に素晴らしい!苦労した甲斐があったというものだ^^


 だが、なにより映画の1番の功績はモーツァルトを“下品”に描いたことだろう。下卑た大声で笑い、人前でおならもする(笑)!いまでこそモーツァルトは夫婦共々大変な浪費家で(=だから常に貧乏)、かなり下品(ウ○コネタ大好き)だった事はよく知られているが、この映画以前はまるで「聖人君子」のように思われていた。「天才」でも所詮「生身の人間」なのよ(笑)。

 勿論、「映画」ですから史実と異なる点も多々あります。短期間ながらモーツァルトベートーヴェンが弟子入りしていたエピソードは一切映画ではないし(残念)、モーツァルトが「死神」のような格好の人物に「レクイエム(鎮魂ミサ曲)」の作曲を依頼されたものの未完に終わる(=亡くなったから)有名な話は、依頼主がF・ヴァルゼック・シュトゥパッハという伯爵の依頼であったことが後に判明しています。サリエリでは御座いません(笑)!ただ、そんな細かいことは映画の出来には全く関係なし!「著名人の死の謎を描く」からには、その程度の脚色は許されるでしょう。


 世界的な偉人の意外な姿を面白おかしく観ながら、同時に名曲を堪能しつつ(勿論、全編にモーツァルトの名曲の数々が散りばめられている)おまけに歴史の勉強もできてしまう(ちなみにモーツァルトを寵愛したオーストリアの皇帝はマリー・アントワネットの実兄!)・・・。これも映画の素晴らしい<効能>のひとつである(でも丸々信じたらあかんよ:笑)。