<其の780:番外編>大コケ映画を掘る:マイケル・チミノ「天国の門」

 大雨もあったお盆も過ぎましたが・・・コロナは高止まりのまま。このまま、以前の様にピークアウトするのかしら??

 

 今回は久々の“番外編”です^^。今更書く事ではないけれど、映画という媒体にも当然、出来・不出来、当たり・外れがあって、巨額な予算をかけたとしても面白くない作品や評判が悪くて観客が入らない作品が多々存在する。近年は出来が悪いと、それがSNSで広まって、かえって人が観に行く現象もあったりするようだ。例をあげると、怪獣を倒した後処理の様子を描いた作品とかさ(笑)。そんな映画をあえて掘り下げるのが今回のテーマ。映画史探求も当ブログの目的のひとつなので^^!

 「ディア・ハンター」(’78)でアカデミー賞獲ってイケイケだった脚本家出身の故マイケル・チミノ監督が「ディア・ハンター」の次回作として、自らシナリオを書いて演出した超大作「天国の門」(’81)は、大コケ映画の1本として世界映画史にその名をとどめている。

 今作のモチーフは19世紀末のアメリカで牧畜業者組合の牧場主達が、新たにやってきた入植者達を略奪者と決めつけて殺すべく傭兵を雇った「ジョンソン群戦争」。「ディア・ハンター」のベトナム戦争といい、今作といい、チミノはアメリカの汚点(黒歴史)と移民達に興味があったと思われる。

 問題となったのはチミノの妥協なき映画作り!作中に出てくる町や家屋、農場もロケセットではなく、モンタナ州の砂漠で全て一から撮影用に造られた(驚)。メインストリートに馬車を通す道幅を広げる為、町のセットを取り壊して再度建て直したそうで。CG全盛期のいまなら、手前だけ作って、奥行きはグリーンバックで合成する方法もあるんだけど(今程のクオリティーではないものの、当時も合成技術はあった)チミノさんは・・・嫌だったんだろうねぇ~。本人のエゴっちゃあ、エゴだけど(笑)。

 劇中に主人公が乗ってくる機関車も当時のものをアメリカ中から探させ、撮影用にレールを敷いて駅まで建設する徹底ぶり。映画観ると・・・町のシーンは凄いよ!19世紀末のビル群(ニューヨークのような摩天楼風ではないけれど)に、通りを右往左往する大量のエキストラ・・・。これは誰がどう観ても大金がかかってる。これぞTVドラマの予算では不可能な大スクリーンで上映すべき映像!!・・・美術さんや衣装、小道具さん達は死ぬ程、大変だったと思う(苦笑)。

 撮影のヴィルモス・ジグモンドと共に、チミノは当時の風景をリアルに再現する事と映像美にこだわったようだ。キューブリックの「バリー・リンドン」(’75)を意識したと思われる部分もある。個人的に読んだ本によると、西部の町は砂埃がひどかったそうで、その辺もしっかり再現されてる。馬車のせいで、道のあちこちに馬糞が落ちていたとも本で読んだが・・・まぁ、そこまではやってないんで良かった(笑)。まぁ、ストーリーも登場人物も史実とは大幅に脚色されているので、その点はリアルじゃないと言えばリアルじゃあない。実際の出来事に題材を取った映画でも大なり小なり<脚色>されていたりするから・・・まんま信じちゃダメよ(笑)❤

 当初の制作費は1100万ドル。だがチミノが契約を盾に、こだわりにこだわりまくった結果(リテイクはしょっ中)、予算は撮影中も膨らみ続け、結果かかった総製作費は約4400万ドル(当時の金額で約80億円。いまだと・・・いくらになるんだろ?)!!今作以前にも大コケ映画はあるし、現在の映画だとCGで予算かかって1億ドルとか2億ドルとかかかって、今作以上に大赤字出した映画もあるのだけれど、1981年当時は、これは凄い巨費&大問題だった訳。

 膨大なフィルムを編集したら5時間越えしたので、ばんばんカットしたら当然、構成が破綻(それでも現行の尺は219分ある)。アメリカの黒歴史を扱っている上、破綻したストーリー展開じゃあ、当然評判は悪く・・・興行は大失敗に終わり、制作会社は倒産。しばらくチミノは監督できなくなってしまった(後に「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」で復帰するも、ここまでの大作を任される事なく生涯を終えた)。

 エリート大学出の主人公(クリス・クリストファーソン)と恋仲の娼婦(イザベル・ユペール)、娼婦に横恋慕する男(クリストファー・ウォーケン)を中心に繰り広げられる恋愛模様とクライマックスのバトルシーンは悪くない。先の「バリー・リンドン」も公開当時は評判悪かったけど、筆者は面白く観られた。ブレイク前のミッキー・ロークも何気に出演してたし(笑)。ただ・・・話の内容に比べて、やっぱ尺が長い(苦笑)。主人公が何故、保安官になったのかとか、苦い体験があった事は示唆されるものの・・・具体的な言及なし(おそらくカットされた部分)。最後のシチュエーションはーう~ん、なんだかよく分からない(苦笑)。ネタバレするんで具体的には書かないけど、あれならラストをカットしてもよかったかな。で、その分の尺を主人公を掘り下げるシーンにあてても良かったかも。いっそ、合間合間にスーパーかナレーション入れて内容を補完した方が観客には分かりやすくなったかもなぁ。

 

 思うに・・・アカデミー獲った直後の新作として、チミノにはイケイケな気分と同時に相当なプレッシャーもあったのかもしれない。単に自己の創作意欲を満たす為だけではなく、自分で脚本も書いているので「もしかしたら・・・作品の方向性や演出を間違えているかも?!」と自問自答しつつ、そのプレッシャーをはねのける為に徹底した準備や執拗に撮影を繰り返したような気も筆者にはするのだ。その心境はクリエイターあるあるだと思うんだけど・・・。真相はどうだったんだろうねぇ・・・?